『Member』ページ
自 己 紹 介 プラス
(アルファベット順)
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- 愛称 パン(ダ)さん (体型から娘が命名)
- 好きな作家 浅田次郎
- 好きなアーティスト 桑田佳祐(サザンオールスターズ)
- 健康法 ベターと開脚(挑戦中) 逆立ち 家庭菜園(主に草ひき) 朗読
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Sk
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- 1949年11月25日生
- ふと思い浮かべたいことの葉 「向上心」
- 朗読について思うこと
「歌は、ウタウ~ウッタウ~ウッタエルこと」とどこかにあった。作詩者・作曲者の衣を借りて自分の思いを訴える。それは前に居る自分以外の人にかもしれない。時には風呂場の中の自分自身にかもしれない。
「朗読」にも共通する所があるように思う。けれど「朗読」には作曲者はいない。その分、その作品に対する思い入れ(「作者の訴えたいこと」への同調・理解)が「歌」によりも重く必要とされるのかもしれない。「歌」で作曲者が果たす役割、詩にふさわしいメロディーを創造すること。それをも朗読する者は声に乗せなければならない。
ところで、通常「歌詞」に比べて「朗読文」は長い。多くの歌は「暗譜」が可能だが、5分ほどの文でも「暗唱」はプロでない素人の私共には難しい。「演劇」でなく「朗読」であれば、その必要もないだろう。文に目をやり、文脈をたどりながら、それまでの作品に対する理解・思いを頼りに声を発する。それでいいと思う。
何度も何度も「読む」ことにより作者の思いに近づき、あるいは自分なりの解釈も加わり(これには異論があるかもしれない、あくまで作品・作者の思いに忠実であれと)、「思い」は「声」に現れる。人前では緊張してうまく「声」に表せない時が多いかもしれない。が、それも含めて今の時点の「この作品の私の朗読」=「訴え」があるのだと思う。
2o24.9.18
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Tt
- ニックネーム たかちゃん
- 生年月日 1959.9.13
- 家族構成 夫 長男 次男 長女
- 趣味 朗読 オカリナ カフェ・ランチめぐり
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Um
- 1952.8.26 生
- 趣味 ボタニカルアート 数独
- いつでも 夢を!
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