『三の葉』ページ
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すいせんべんじょが ぼくのうちに できました。
あさごはんを たべてから おねえちゃんが すいせんべんじょの中へ 入りました。こうちゃんが ごはんをたべてから「んんこして」となんべんも いいました。ぼくは「こうぞうちゃん あんたずぼんを のぐの」と、いったら「ずぼんのいたら よけしかきもちが いいな」と いいました。ねえちゃんが でてきました。こうぞうちゃんが入りました。ぼくも べんじょの中へ 入ってずばんを のぎました。
おしりを ふいて すいせんべんじょの ひっぱったら 水のでるやつを ひっぱりました。そうしたら んんこが 水の中へ 入って ながれて しまいました。
(加納小学校一年五部 学級文集『ふたば』より)
おととい ぼくが 学校から かえって きたら おとうちゃんと こうぞうちゃんが スポークに ねじをはめて いました。おとうちゃんが「十円やるで ねじはめてくれ」と ぼくに いいました。
ぼくは スポークと ねじを もって いきました。おとうちゃんが「スポークと ねじを 十五づつ だして」と いいました。ぼくは「ふん」と いって スポークと ねじを 十五づつ だしました。こうぞうちゃんが 「ねじ 一つ たらへん」と いいました。ばくが「やったる」と いって あまった スポークをもって ねじをはめました。おとうちゃんが「まぜたら いかんぞ」と いいました。そして ぼくが「なぜ」と いって おとうちゃんに ききました。そしたら おとうちゃんが 「長いから」と いったので ぼくは スポークの 長いやつをだして みじかい スポークに ねじを はめました。一ばん しまいの スポークが のこったので ぼくが「ねじ 一ぽん たらへん」と いったら おとうちゃんが 「そこへ おいてけ」と いいました。
そして ぼくが「おとうちゃん 十円 ちょう」と いったら おとうちゃんが ぼくに 十円くれました。
(加納小学校ニ年五部 学級文集『ふたば』より)
1992.12.
「犬でも臆病な犬ほどよく吠える。また臆病な人間ほど自分を強者に見せたがる。自分にない力を出そうとする。そういうことをすれば周りが見えなくなる。だから臆病者は愚者と同じなのです。愚者が失敗するのは大きな流れに逆らうからだ。大きな流れだと思ったら、流れに従うべきです。ゆっくり流されておれば周りがよく見える。逆らうと息が苦しくなり眼が霞み、何も見えなくなる。結局溺れて死ぬ。単純な理屈ですぞ。」「大臣のいわれることはよく分かる。だが大抵の人間は、それが分かっていても流されていることに耐えられなくなる。耐えられない人は凡人ではない。」「皇子、凡人というより愚者なのだ。」・・・流されることに耐えられず死を覚悟して逆らう人間もいる。そういう人間には死の瞬間まで周囲が見えている筈だ。厩戸には、自分の意思に従って行動し、死んで行く人達を愚者とはいい切れなかった。・・・
厩戸は、能力のある者は、その能力に応じて位をあげるべきではないか、と漠然と考えるようになった。こういうところにも厩戸の性格がよく表れている。厩戸はその当時の皇子や、名門氏族の人々が持っていない人間平等主義の思想をすでに抱いていたのである。人間平等主義といっても、現代の人間平等主義ではない。千四百年も前の時代で、農民達は牛馬のようにこき使われていたのだが、厩戸はそのことに疑惑を抱かなかった。ただ?夕に思慕の情を抱き、会いに行ったことが、皇子としては許されない行動であったことを知らされて以来、農民も自分と同じ人間ではないか、と眼を開かされたのだ。農民達の中にも能力のある者がいるかもしれない。だが農民として生まれた者は、一生牛馬のように働き、死んで行かねばならないのだ。そういうしきたりに厩戸は疑問を抱いたのである。疑問を抱いたということだけでも、当時にとっては革命的なことであった。そういう意味で厩戸は、日本における平等思想の先駆者といえるかもしれない。厩戸が生まれる約千年もの昔、ヒマラヤ山麓の小さな城主の王子として誕生した釈迦は、人間世界のみならず自然世界の弱肉強食に疑問を抱き悩み、出家して仏となった。また、六百年前には、ヨーロッパの一小国でキリストが生まれ、神の啓示を受けて人間が平等であることを身をもって示した。今、東の海の中にある倭国と呼ばれる小さな島の皇子が、人間世界に対し、釈迦やキリストと同じ疑惑を抱き始めていた。ただ、釈迦やキリストは、自分を神、仏に昇華させたが、厩戸は貪欲な人間として生きたのだ。釈迦やキリストのように人間としての悦楽を捨て、世の人々を救うには、厩戸はあまりにも人間的であり、人生肯定者であった。厩戸には、皇子の地位や、自分に与えられた贅沢な生活を捨てる気は毛頭なかった。厩戸は、身分の低いものに対して思い遣りはあるが、人間臭い人間であった。
(黒岩重吾『聖徳太子』より)
1995.3.6~3.24 -「蓄膿症」手術のため入院
1995.3.9
食事はまずくはない。全部食べている。ゆっくりは食べられるけどやっぱり一人だけで食べるのは味気ない。時には怒らなあかん時はあるけど大介がいて、「ぎゃあぎゃあ」言う時はあるけど可愛い悠の顔があって、それに「やさしい妻」がいて、これがやっぱりいい。食事時は家族の機嫌、体調などなど確かめ合う大事な時なのだなあと今更ながら思う。
1995.3.10
白土三平『カムイ伝』(第1部全21巻)読み終える。
カムイはどうしたのだろうか。これは第1部ということなので、作者の頭の中にはこんなんになって‥‥と、カムイがあるのだろうけど、終りの方ではほとんど出てこなかったカムイが気になる。
ところで「カムイ」とはどういう意味があるのだろう。アイヌ語であるらしい。あの巨人が出てくる時、この「カムイ」という語を発する。カムイが生まれた時、農民・非人が一揆に立ち上がった時。神、団結、大きな自然の流れ、正義などを意味するのだろう。
大きな権力に対して自由をかちとるために必要なものは何か。力、協力、組織力、学ぶこと、忍耐、・・・そこに(副田義也氏の言葉を借りれば)「激しい美しさ」があり、「意志的に生きた人」が生まれる。「意志的に生きた」キャラクターの中でやはり群を抜いているのは正助だ。下人から百姓になることを夢みながらあらゆる努力を惜しまない。その「激しい美しさ」に皆がほれ込む。農民・非人の下層階級はもちろん、武士・町人にいたるまで。なのに、だからか、その最後は象徴的だ。信頼され、その中の組織者として頂点にあった百姓集団によって殺される。生産力の担い手である農民階級による、それなしでは成り立つはずのない武士階級からの権力奪取、それどころか、ほんのちっぽけな変革でさえも許されない。まだその時ではない。この矛盾は、もっともっと多くの犠牲がなければなくならない。「意志的に生きた」正助の「激しい美しさ」をしめす生き方は間違いではない。自然の大きな流れは、その中の一つである人間総体が生み出す歴史の大きな流れは、それらを包み込みながらゆったりと流れていくのだろう。
1995年度『砂川高校図書館案内』より - 1年6組担任推薦図書
この3月にちょっと入院しました。ベッドの上での暇つぶしに、病院へ本を持ち込むことにしました。肩がこらなくて、手術後のぐったりとした体と心に力を与えてくれるものということで思いついたのが、むかし読んで(見て)強烈な印象が残っていた、これ。
舞台は江戸時代初期。武士階級の圧政と暴略の中で苦しむ農民や非人の姿が生々しく描かれる。大きな権力に対して自由を得るために必要なもの。力、協力、学ぶこと、忍耐、・・・。それらをつかもうと「意志的に生きる」多くの登場人物。その中に「激しい美しさ」を見る。と同時に、今の自分のなまぬるさを感じる。
21冊は多いようだけれど、読み始めると「カムイ」の世界に引きずり込まれてしまい、あっという間に読み終えてしまう。
この1部の最後は、非人カムイと同じ時・所で「意志的に激しく美しく生きた」百姓正助の象徴的な死の場面で終わる。そこに、どんなささいな自由をも許されない百姓・非人のやりきれなさを思いしらされる。それと同時に、全体を振り返って、人間総体が生み出す歴史の流れの大きさ、正助たちの生き方をも優しくつつみ込みながらゆったりと流れる自然の大きさ、そんなものを感じる。
1995.3.10
「君のBestFreindは君だから・・・君よ、そよ風になれ、野の花になれ・・・走る人よ・・・風の中」
今まで、車の中なんかで聞いていた時なんか、そんなにいい歌とは思わなかったけど、むしろあんまり好きになれなかったけど、今日、午前中の点滴をしている最中に流れてきたら、全身がゾクーとした。もちろん感動してだ。
「楽しみながら走る。自然を楽しみながら走ろう!」といっている高石ともやの気持ちが理解できたかな。いつまでもランナーでいたい。病室にいるからよけいにそう思い感動したのでしょう。
1995.3.11,12
『脳と心 ― 人はなぜ愛するか ― 感情』を読み終えた。
扁桃体の欠如による感情表現の著しい欠落。自閉症児は胎児期に脳に異常が起こり、大脳辺縁系、扁桃体の多くの部分に細胞の萎縮が起こり生まれる。学習障害(LD)児の脳を見ると、一部に異常、軽い萎縮が認められる。そして英才児の脳は・・・。
脳の研究が進み、病気などの治療に役立つのはいい。実際大いに役立っているのだろう。だけど、人間の探求心を満足させるだけのものであったら疑問だ。「なるほどそんなんで快・不快を感じるのか」と単純に興味を向けていたけれど、果たしてそれでいいのかと、この本を読んで感じた。何のためにこんなことを知る必要があるのだろう。ただ研究のためだけに、では怖いことになるのではと思った。特に「英才児を育てる」「学習障害児」の所では。生まれたらまず脳の検査をし、この者は人間社会にとってどの方面に適応させるのが最も効果的かを組織によって判定され、生かされる。そんなSFぽいことが将来行われるのではないかという恐怖をいだく。脳にこういう障害 - 他の多数の者と違う所 - があるから、こういう行動しかとれない - 他の者と同じことが出来ない、ということがわかってどれだけの意味があるのだろう。「その障害のある脳の部分」を薬で治療しようなんて - 実際すでに行われているようだが - とんでもないことのように思う。そうではなくて、こういう人もああいう人も共に生きる社会にすることが必要なのではないか。こういう社会のためにこういう人が必要だから、こういう脳の持ち主になってもらおう、ではなくて。こういう考えは自然の流れに反するのだろうか。
こいつは数学ができない。脳を調べてみよう。やっぱり脳のこの部分に欠陥がある。脳のこの部分を治療しよう。または、治療は面倒だから、こいつからは数学を取り上げてしまおう。
これでいいのだろうか。少なくとも教育とは無縁だ。その点では「教育」はしんどい。「数学」が「みんな」にとって必要であるなら、「薬」「放棄」でなくて、しんどい「教育」を追求していかなくてはいけないだろう。
最後にあった「よりよい人間関係のために」の項に、①「共感性」‥‥思いやり ②「自己開示性」 ③「好意の返報性」 この3つがそれに必要なものとしてあげてあった。③については特に考察してみたい。
『1年6組だより』(1995.4.10)より
あなたがある人に対して好意的に接していれば、その人はそれを感じ、いつかは、あなたに好意を示してくれるにちがいない。これを「好意の返報性」というらしい。みんなを好きになって、みんなが友達になろう。
1995.3.13
am- 足の検診の帰りに入浴あり。一週間ぶり。親父を想う。
pm- 鼻の中のタンポンを取り出す。痛かった。しんどくなった。汗をびっしょりかいた。看護婦さんに助けてもらった。
1995.3.14
10:30頃- 肩に注射。これがちょっとグーゥと痛い。
11:00頃- 手術室へ。血圧計をつけて、心電図系も、酸素吸入マスクも。点滴、「マスイいれます」でストン。気が付いたときには、自分の部屋で頭が痛くてハーハーしていた。前回は3時間、今回は5時間手術にかかったという。お医者さんもたいへんだ。前回は右副鼻腔(上顎洞、蝶形洞、前頭洞、?骨洞)内の膿を取った。掃除した。今回は、左の副鼻腔内の掃除と、鼻中隔の矯正(左の方に出っ張ってる部分を削り取る)をした。
ところで、全身麻酔がきいてから気が付くまでの3時間ないし5時間の時間というのは私にとって何なのだろう。「何もなかった。無であった。」これをどうとらえるか。考察が必要だ。
前回は「そんなたいしたことないなぁ」だったけど、今回は「だいぶしんどい」。特に「鼻中隔の矯正」のためもあって、左右両方にタンポンが詰めてあるので鼻では全く息ができない。口からのみの呼吸。のどが渇く。つばを飲み込むのがたいへんだ。物なんかなおさら。飲み込んだら、その前にあった空気の逃げ場がない。鼻が通るときは鼻から空気は逃げて行ったのだろう。それがない。上唇の中、耳のあたりになんともいやな圧迫を感じる。だいじょうぶかなと思う。こんな手術していなければ、こんなめんどうなことを経験しなくてよかったのに、と腹立たしくなる。「いやそうではないのだ」と言い聞かそうとするが。
1995.3.17
am- 点滴。これも毎日2回あるので、腕は穴のあとだらけ。いやになってきた。できたら避けたいが。いやいやこれも必要なのだ。
pm- いよいよまた、あの恐怖のタンポン取り。今回は前回ほどではなかったが、やっぱり痛かった。でも鼻が通ったから、やれやれ。これで食べ物も食べられ、元気が出てくるぞ。
ところでタンポンはどの部分に入れてあったのだろうか。たぶん鼻甲介と鼻甲介の間。甲介は上、中、下の3つあり、その間に上、中、下の鼻道がある。それらが外鼻孔をへて鼻の穴の入口に達するのだが、その間に総鼻道がある。その総鼻道、上・中・下鼻道を合わせて鼻腔というようだが、その鼻腔にタンポンは詰められていたのだろう。副鼻腔までは入っていないだろう。その入口までで。敏感なのは鼻甲介なのだろう。検診の時もここをつっつかれるのはいやだ。ましてすごくたくさんのタンポン、膿でぬるぬるにはなっているけど、血がついてて、その血がタンポンと毛細血管の集中している厚手のカーテンである甲介にくっついててなかなか離れない部分があって、それを無理やり引っ張るときなんぞは、それはもう・・・。
でもなんとか一番苦しい所を乗り越えた。鼻は通ってすっきりした。後は抜糸だけ。
1995.3.20
へんな、おもしろい夢を見る。書き残しておきたいと思った。エロティックと恐怖とミステリーな、へんな夢だ。書き残してもしゃーないと思う。誰も興味を持たないだろう。色を添えたら、チョとした訳のわからない短編小説でもできるかもしれないけど、誰の役にも立たない。
適当に頑張れ。めちゃめちゃ頑張らなくてもいい。先は長い。自分で満足できる程度に頑張ったらいい。その結果、ライバルに負けてもいいやないか。だけど「くやしさ」は忘れるな。その「くやしさ」をバネに、また、適当に頑張っていこう。努力していこう。ラッキーなことに、その結果、目標が達成できたら、おごることなく、満足しよう。だれに言われなくてもこの場合は、「やったァ」という気持ちになるのだけど。これが「競技に出よう」と思う大きなパトス(衝動力)なのだが。この場合もおごることなく、ひかえめに次の目標に向かって、また適当に頑張っていこう。努力していこう。
ここで、父ちゃんの好きな歌、小さい頃、お姉ちゃんが歌っていた歌を紹介しておこう。
「若者よ、体を鍛えておけ! 美しい心がたくましい体にからくも支えられる日がいつかは来る。その日のために、体を鍛えておけ。若者よ!」
もちろん運動だけしておればいいというものではないよな。精神、心も鍛えないと。それが学校、家でやる勉強、人との関わりの中で学ぶこと、たまにはテレビの中で知ることもあるかもしれない。ちょうど今、父ちゃんは病院にいる。だから体を鍛えることはあまりできない。その分、精神を鍛える時間がいつもより与えられているのかな、とも思うょ。
なにしろいろんな面で、あまり急がず、時には完全休養もいいし、先は長いので、適当に頑張りつづけていこうょ。
1995.3.23
いよいよ明日、退院と決定。
『親鸞』(吉川英治)を読み終える。
(ニ)まではあまりおもしろいとは思わなかった。(三)を読むのをやめようかとも思ったけれど、読み終えてまあよかった。「親鸞」というよりも「吉川英治」の人、「平家物語」とも通ずるものを読みとれたように思う。物語としては「上人」として生きた人らしく、うまくいきすぎているように思う。しかし、親鸞の生きた道を通して、吉川英治が言いたいこと、大切に思うことをつかめたように思う。往生 - 往きて生きる。他力本願 - 自力本願に対して。なむあみだぶつ。
「・・・幾つの悔いをなしたゆえ、幾つの善をなして埋めようなどという心は仏心でありませぬ。さような形に囚われた振舞いは自分で蔑んだがよい。― 悪を浅ましいというが、善根のための善をしようとする人間の心根はなお浅ましゅうはおざらぬか」
「― 頼朝がおれに与えたものは、皆自己の分け前であり、自己のため以外のものではなかった。― 然るに上人は・・・他意はない。― ・・・なぜ今まで、あのように刃と鉄と人馬で囲んでも、枕を高くして寝られない所領や域にかじりついて生きてきたのかと、初めて、無明の闇から出てきたように思う」
-『親鸞』(吉川英治)より -
おやじは72才で死にました。
それまでずーと 重い冷たい鉄板相手に 働いてきました。
僕の小さい頃は 自転車屋でした。
父ちゃんには自転車屋が よくにあっていました。
重い冷たい鉄の塊を軽々と持ち上げることは 僕らのひそかな自慢でした。
僕らが中学の頃は ガチャン、ガチャン 家の中でプレスに向かっていました。
後ろ姿はさびしそうでした。
それから工場に出て 大きなプレスの機械を相手に
大きな冷たい鉄板を相手にしていました。
みんなと一緒に仕事をしているおやじは 楽しそうでした。
そんなおやじを 時々見る機会がありました。
そんなこんなで父ちゃんは 72年の一生を終えました。
子供の口からいうのもなんですが
おやじは 僕の中に 確かに 生き継いであります。
それが 天国の父ちゃんの自慢です。
(1995.10.19 - 伸司)
1996.6.6
Sについて ―
キレル。どんな時に。「教師やからといってエラそうにするな!」
多くの生徒はSの態度には共感はしてないだろうが、共感するところがあるとすれば、そこだろう。
だいたいの生徒は、教師に言われたら、中味はどうかわからないが表面上は、ガンと言われたら聞く。そういう生徒ばっかりでいいのかとも思う。
Sみたいなのを切ったら、教師にとって過ごしやすい学校になるかもしれない。それでいいのか。教師に反省する所がないのか。
厳しく指導するとは何か。問答無用で「こうせい」と押しつけることか? わからない者にはわからせる。そのためにはこちらに信頼させるものがないとダメだ。一方的ではダメ。
個人的に、Sと同じく「エラそうにするヤツはオレはキライや!」教師でも、生徒でも、だれでも。Sとオレのちがいは、オレはだいたいがまんする。外へ出さない。それがいいとは言えないだろう。
離任式の時 ―
Sさんが「私の本名は金○○です。父は韓国人で、母は中国人です。・・・」と話した。ショックだった。Sさんのよくわからなかった点が、チョとだけでも線でつながったように思う。「強さ」の秘密の一つがそこにあったのかと思う。オレもがんばらな。
1998.3.6
1998.3.22
コン
1998.3.24
過去は問わず 現在どうかが問題だ いくつであっても
〇どんな所で目にし、耳にするか
・右翼の宣伝カー ・NHKの番組終了時 ・小学校入学式
・大相撲はじめ各種スポーツ大会の開閉会式
(なんと、段上の「日の丸」に「礼」などしたり)
〇私の正直な思い
・拒否反応 - いや! やめてくれ! ・歌わない、起立しない
〇なぜ「いや」なのか
・やっぱり戦争を感じる ・天皇崇拝を感じる
・それまでして導入しようとする所に 全体主義 - 臨戦体制 - 排他主義を感じる
〇私を含めて「反対」する人 ‥‥ ③
(妄想と言う者がいるかもしれないが)
戦争はいやだ、過去の過ちを繰り返してはダメだという思いが強い
〇「導入したい人」
①積極的に―
強い日本(軍備を強化して)をめざす
②積極的ではないが―
・①に対して、「えーまさか」の思い
・③に対して、「そんなに目くじら立てなくても」
・自分の立場(例えば管理職)の保身
(1998.12.3 - 伸司)
Yさんへ
ご無沙汰しております。
来年の5月には、佐野養護学校高等部3年の修学旅行で沖縄へ行くことになっていますので、その時にそちらで会えるのを楽しみにしています。
僕が大阪の学校に就職して27年。と同時にYさんにお世話になり始めて27年になります。この間いろんなことを教えていただいて本当に感謝しております。いろんなことが思い出されます。修学旅行の下見に2人で信州へ行った時のこともよく思い出します。当時胸につかえていたことをいろいろ聞いていただいた夜のことを、おおげさでなく、夢か幻かのようによく思い出します。旅館で浴衣を目にするといつも思い出すこともあります。どこかの温泉へ連れて行ってもらった時、湯につかった後しかられたことです。あれからは決して、Tシャツの上に浴衣を着るような非常識なことはしておりません。
G研の活動においては、不出来な弟子をいつまでも暖かく見守っていただきました。それにもかかわらず脱落してしまって申し訳ありません。現在のこの日本における本当の意味の生ける革命家を、僕はYさんの中に見ます。その人と何年間という限られた期間ではありましたが、一緒に、ふらふらふらついてばかりいましたが、活動できたことは僕の誇りです。あの時 ― G研を抜けさせてもらった時、革命家の端くれになる気を自ら閉ざした時 ― からは、自然人になることを自らの目標としています。そのために何をしているということは、いつものことながら何もないのですが。
あの時からYさんと会う機会はめっきり減ってしまいましたが、僕の中にはYさんはずっとあります。早く元気になられることを心より願っております。5月に会えることを楽しみにしています。
(2000.12.1 - 炭鎌伸司 - 未送のまま)
2000.12.2 再生不良性貧血の進行に肺炎を併発し、沖縄の地で永眠
(『2000.12.10 Yさんを送る集い』より)
最近、短歌にこり始めました。すぐやめになるかもしれませんが。
さくら咲き 旅立ちのジャズも 厳かに 花の心を孫につぎ 逝く
3.29
義父の通夜に思いついたのがきっかけです。私以上に人との付き合いが苦手な人でした。葬儀の参列者も少なかったけど、千枝の望みで、花をいっぱい飾ってもらいました。お経のない時は、好きだったジャズのテープを流しました。
青空に 向かいてポカリ イッキのみ スイムのつかれ プーッと ふきとべ!
4.7
桜恋い ランニングの足が重たくも ホケキョの声が 我をはげます
4.8
向い風 チャリンコの足を重たくす 桜踊らす 君と同じか
4.10
今年もさあ シーズン始まる いざ練習 我が青春のトライアスロン
4.16
けぎらいす へびの心を教わりし 手塚のブッダ 夏の山道
4.22
いろいろお世話になった山口さんが、去年の暮れ、60才で亡くなりました。手塚治虫の『ブッダ』を貸したこともありました。
宿ゆかた Tシャツにはおるを 師の説教 厳しくもあり 温かくもあり
4.22
宿で風呂に入って浴衣を着る時、いつもYさんを思い出します。Tシャツの上に浴衣を着た私は怒られました。「浴衣は肌の上に直接つけるものだ。そうでないと浴衣の意味がない」と。あれ以来、どんなに寒い時でも、浴衣の下にTシャツを着ることはしていません。
今回は以上。
今まで見向きもしなかった短歌に興味を持つとは、おじんになったのかなぁ。
(2001.4.22 - 伸司)
2001.4.29
突然の 大粒の雨に 葉がはねる 山の老木 まだ潔し
2001.5.19
長距離の車走らす一人旅 思い出の歌 我に聞かさん
舞鶴の 鶴となるらん デュアスロン 燃える山道 この足で舞う
2001.5.23
沖縄の ベッドで知るは 母心 生徒の手をとる 右と左に
2001.5.26
一流のスポーツマンに要求されるのは柔らかくて強い筋肉
僕の筋肉は強いとしても硬い それでもスポーツを頑張れる
筋肉が衰え弱くなったとしても スポーツは楽しめる
いつまでも いつまでも スポーツ
2001.6.10
今日もまた 楽しく終わる3の3 最後は塩ちゃん 「とにかくつかれた」
2001.7.28
脳みそも煮えくり返る長良川 ゴールの後は心すずしき
2001.12.18
寒い朝 ふとんかぶるるもう一度 われ見習えと 小鳥さわやか
年末のポストに差し出す穏やかさ ハガキの束とおじさんの顔
ラントレの はやる心に アキレス腱 まだやめとけと にぶくささやく
2001.12.20
酔いつぶれ 寒さの駅で哲学す 無理について 無理の善し悪し
高3に ふたごについて女子に言う 52の今も変わらぬ思い
2001.12.23
運動をやり終えた後の心地よさ やるべきことをやり終えた今日
2001.12.26
イノシシの親子に出会う冬の道 今何してる いだき走るる
2001.12.28
出場許可 便りに躍る我が心 はや駆け巡る 宮古の空よ
2001.12.30
お正月 あのうれしさは幻か 貧しき家族 6つの交わり
2001.12.31
人生で一番大事 それは今 次を夢みて 今をしっかり
2002.1.2
リフト券 50才以上は割引で 顔パスいけた うれし さみしや
2002.1.5
やさしさが人並みにある もしそうなら 原点はここに ふたごと生まれし
2002.2.5
国民を守るという名の下に人殺しを正当化する戦争
差別を正当化する天皇の存在
私の全部はこれらに拒否反応を示します
天皇をこそっと担ぎ出し 戦争にジワリジワリと突き進む
「君が代」はそういう道具に思えてなりません
管理職に就いたとたん 「日の丸」に頭を下げる
そんな人がいることにフシギを感じます
2002.3.
暴力の最大の弱点は、それがまさに破壊しようとしているそのものを生み出してしまうという悪循環にある。悪を衰退させる代わりに、それを増殖してしまう。暴力を通して、嘘つきを殺すことはできるかもしれない。しかし、嘘そのものを消し去ることはできない。まして真実を確立することはできない。暴力を通して、憎いヤツを殺すことはできるかもしれない。しかし憎しみそのものを消し去ることはできない。現に、暴力はただ憎悪をますだけである。暴力に暴力で応えることは、すでに星を欠いた夜に、さらに深い闇を加え、暴力を増大させる。暗闇が暗闇を追い払うことはできない。それをなしえるのは光だけである。憎悪が憎悪を追い払うことはできない。それをなしえるのは愛だけである。
-- マーティン・ルーサー・キング --
2002.3.28
山なみと 水面と うぐいす 五分桜 自然にあるもの みなおもしろし
2002.4.20
沖縄の空 沖縄の雲 上から真っ直ぐにのびる飛行機雲
沖縄のキャンパス 言うことなし
2002.4.21
この体 やめとけと言う 最後のラン けれど行かねば ゴールめざして
2002.6.
カーステに流れるMD 若き想い 「ゆず」の心根 息子の血潮
2002.12.18
妻の手を 布団の中でそっと包む 今日も一日おつかれさん
人生も大袈裟なものではありません 浜に打ち寄すペットボトルか
青き海 宮古にありて熱き風 我が青春のトライアスロン
在日の 無念さ抱きて男あり 竜馬がなんぞ 河島英五
今となり おやじの心根 今想う 息子を前に何をか言わん
2002.12.19
心臓のリズムの乱れに心乱る いつまでつづく 我がスポーツ道
Moっと長く(そのため)Muりをしない Meちゃめちゃさぼらない
2003.1.10
焼酎のグラスの向こうに揺れてある おでんとサラダ 娘と妻と
2003.1.17
寒い冬 昔の我にはスキーあり ランニングあれど そこまでいかず
いつからか クモの巣はれるログハウス 娘とともに住者待てよ
ほろ酔いの 電車の中で苦笑する 昼間作りし歌を浮かべて
2003.2.21
生き方がまだ定まらず 53 それでもいいか 今日も走ろう
2003.3.7
いくつかの家族がここに歓談す 草葉の陰でおやじ微笑む
2003.3.16
三回忌
2003.3.30
まだ咲かぬ桜 うぐいす幼声 我も走らん 足を引きずり
2003.4.5
三日月と一緒に走る関空道 車音も声援 足は順調
2003.4.13
満開の桜 うぐいす冴えた声 されど我が足いぜん重たし
2003.4.18
これぞゴーヤ 伊良部で食べるチャンプルーゥ 五百円で万の満足
2003.4.19
草花の宮古の海辺に緑紅 蝶の群れ舞い 黒も鮮やか
2003.5.8
ボロおやじ トライアスロンで汗まみれ 家族はゆったり 皆生温泉
2003.7.31
神経痛 抱えて今日はランニング こんな痛みに負けてたまるか
2003.8.12
事故やりて レースへの想い失恋す 無理をするなと 天の声かも
2003.8.17
力なき へ にあらわるる我が姿 病院ベッドにただ横にある
2003.8.18
数学と和歌の真髄似通いし 直感 選択 吟味 あるべし
2003.9.13
のんびりも一週間なり ありがたき病院生活 皆に分けたや
2003.9.13
悪くなし 五週間ののんびりも 病院生活それなりに過ごし
のんびりの中味は何ぞ 音楽にリハビリ 読書 受験数学
家だ家 やっぱり家だ家はいい 何があろうがやっぱり家族
2003.12.14
こは何ぞ 生徒と創りし狂言ぞ 俵を重ねて愛でたでごじゃる
2003.12.20
宮古島 はずれてくやし 花いちもんめ
2004.1.1
哲を行く 僧侶となりし先輩の教えを胸に 我はさまよう
2004.3.24 終了式を前に
狂言では「大きく、ゆっくりと、はっきりと」
持久走では「マイペース、ファイト」
何事も「自分を見失わず、そして次の自分へ」
2004.4.3
春うらら 雪かとまごう桜舞う ランの汗拭き 玉田を歩む
2004.4.18
鳥ダムに桜残れとランニング 今年はナシや 怠け心に
2004.7.
このような自然界の仕掛けを見ると、あまりに巧妙にできているので、目に見えない「大いなる意志」の存在を考えたくなる。しかし、科学はそのようなものの存在を否定し、想像を絶するような長い時間がこのようなものを生み出したと考えている。
-- 生命(イノチ)の不思議 -- 柳澤桂子 --
2004.7.30
夕立に打たれてはしゃぐ蛙観る ムクロ転がるアスファルトの上
2004.7.31
夢うつつ 雨かとまごう蝉の声 怠け心に 夏を楽しめ
2004.8.29
去る年にうじゃと白く鷺の群 山は削られ 今はいずこへ
2004.8.27
もう秋よ 夜鳴く虫が我に告ぐ まだまだ夏だ トライアスロン
2004.8.30
もう秋よ 夜に虫たち囁けり まだまだ夏だ トライアスロン
伊良湖にて トライアスロンの締めくくり 我が汗浸みよ 恋路ヶ浜に
政界を見渡すほどに 我が護憲 弱者の地位に成り果てぬるか
2004.9.25
幾百の白き蝶舞う朝木の間 BGMは秋の虫たち
2005.2.25
大濠の水にうかれてカモの列 それを羨むハトの列かな
2005.2.27
なにはなく 娘と博多で4日間 我が最幸の時は今かも
2005.2.28
ありがとう 娘よ 博多で4日間 最後の夜は酒にも付き合い
2005.3.13
春をゆき うぐいすの声ひとりじめ 雪もちらつき すばらしき道
2005.3.14
病院の待合室で耳につく 聞きたくもない世間話ぞ
2005.4.19
指の間にヤドカリ遊ぶ宮古島 土産にしよか 砂に返さん
2005.5.3
おっタヌちゃん おもわず呼んだランの道 逃げなくていいじゃん 春の曙
2005.5.28
ホーホケキョ 緑を仰ぎて主さぐる 緑に見えず 主は驕らず
ラントレの道に寝そべるヘビ殿が これを機会に折り返す我
2005.8.10
情けねえな人間 コソボ紛争 宗教・民族 それがどうした
2005.8.11
我が指針 スポーツマンたれ どこまでも
2005.8.16
往きは蝉 帰りの道は秋の虫 重たい足に あー心地良し
2005.8.20
鈴虫の声に埋もれて夏の珠洲 2時の満月カラッと涼し
2005.12.3
娘にも大うけでしたおじんギャグ これで当分一家安泰
(参考)「当たらん予想はよそう」
2005.12.21
「スポーツマン」わが人生の拠り所 ただひたむきに楽しく歩む
2005.12.29
戌年かぁ ペロは今頃どうしてる 主恋う小屋 枯れ草宿す
2005.12.31
激痛め またまた走る顔面に つきあいませう厄介なれど
寒風と滴る汗の不快さよ そうでもないぞと前ゆくランナー
2006.吉日
ご結婚おめでとうございます。
津本さんのスラっとした雰囲気が、この一年間、この3年6組を支えてくれたように思います。
「結婚生活は2つの文化のぶつかり合いやなあ」と思ったりすることがよくあります。これからの新しい生活の中、2つの文化をスラっと、すばらしく、和合させていってください。
いつまでもお元気で、お幸せに。
2006.4.6
自然あり 疲れた体と精神に 鳥のさえずり 小川のせせらぎ 桜のタネル
2006.4.21
この海に見とれてやっぱり次も来よ レースの辛さ忘れて 宮古
2006.12.29
この頃のさぼりがちなるトレニング 宮古の便り 老心に鞭打つ
2007.1.
この調子でいけば
今こうだ ---------→ こうなる
(初期条件) (微分方程式) (解)
「なっとくする微分方程式」より
2007.1.20
ふと仰ぐ 走り慣れたる道におり また新しき
2007.9.15
暑い朝 虫の声にて秋をしる
2007.11.
彼らは
彼らは
「スーパードライ」のCMより
2007.11.25
私にとって思想とは
「反戦-平和、反差別-平等」 これについて思い、考えること
この思想を持つ人は
どこにあっても私の親友であり
私の尊敬する人は
この実現に向かって行動する人である
2007.12.22
今日もある 街角にチャリ 光る汗 少しの誇り 新聞配達
2007.12.23
今日こそは散歩に連れてけ ズボラ主 そっちの身勝手 ワシたまらんワン
壁紙につい声かけるポインター 無邪気なクマ子の鼻グリクルクル
ひとつだけ わがカレンダーにピンクあり 酒をつまみに娘と語る日
反戦と反差別とを胸に抱き 何も語らず これも道なり
(自責の念と慰めの思いを持って)
2007.12.24
自然あり ゆえに我あり 生かされし
2008.2.
司馬遼太郎に対してトルストイ 『坂の上の雲』に対して『戦争と平和』
「緻密さ」なるが、なによりも 「反戦意識」にトルストイが優る
2008.2.23
不揃いな クマコの毛並みに 春を観る
2008.5.5
大介と 彼女とともに4人連れ 京都に1泊 京都見物
2008.5.16
基本情報技術者試験 老いたれど 一発合格 まだまだやるジャン
2008.11.25
娘からメールあるかな 誕生日
踏みしめる 玉田山にも ちゃんちゃんこ
2009.5.17
かつらぎは鳥の宝庫ぞ 朝焼けに バイクをこいで自然に混じれ!
2009.8.7
セミの声 けだるさ増します 散歩道
2009.8.9
涼を呼ぶ 雨音やさし 怠け床
2009.10.5
散歩道 秋の川面に 鯉堂々
風雨去り 強き流れに 鯉いずこ
2009.10.11
裏切らず 今日も空き地に鷺ゆうゆう
りーんリン 鷺の足元 秋の風
自然老(じねんろう)
自然に出でて 自然に漂う
自然を想い 自然を愛す
自然に漂い 自然に消えん
なお自然は在りぬ
ああ 自然のほんの一部なる 自分を喜ぶ
2009.10.21
歌声も楽器の一部と人は言う チンチロリンと虫の音 楽し
自然老のひとり言
人ありて道徳あり 人ありて神あり 人ありて社会あり 人ありて打算あり
人なくとも自然あり 自然に優るものなし
2009.11.1
大雨で川となる道 玉田山 クマコが先導 ふたりで冒険
2009.11.16
昔なら女性を思い床に就く 今の楽しみプログラミング
蚊がひとつ 霜月の夜に 言う「まいど」
霜月に 今夜も出没 蚊のおやじ まだまだ元気だ お前はどうだ
セルフ店 働く人は何処かな
2009.11.21
セピア色 母が夜なべの鷹の羽 今は生徒の小道具作り
2009.11.22
軽々と鉄の塊 腕の中 お父ちゃんの背に油と汗と
2009.11.28
寒風に 防風林のわけを知る
向い風 折り返し点を楽しみに
追い風を背に受け橋で快し 間近で目にする水鳥の腹
何が出ようと不思議はないな黒き道 決めた距離ゆえ一人走らん
2009.12.13
師の教え 頭に浮かべ ランニング 肉は柔らで足音立てず
2009.12.23
まっしぐらセルフへ改装ガソスタ店 働く人は今は何処へ
2009.12.31
風に舞う枯れ葉が我を追い越して 愛犬クマとひとつ戯れ
目的…①成し遂げようと目指す事柄。
②意志によってその実現が要求され、行為の目標として行為を規定し、方向づけるもの。
目標…①目印。目当て。
②〔心〕行動の向けられる最後の結果。食物を得ようとする者にとって、食物は目標。
―― 広辞苑より ――
目標が設定される。何のために――そこに目的が存在する。まず目的があり、それを実現するために、目標が設定される。
退職を機に、今まで存在した目的の少なからずが、なくなるように感じられる。
逆に、これを機に、今までにはありえなかった目的を探り出したい。そして、目標を設定し、それを達成する過程を楽しみたい。
(2010.2.11 -- 伸司)
2010.3.7
『アバター』、おもしろかった。
侵略者に対する原住民の戦い。自然を守る戦い。
見ごたえがあった。3Dもよかった。
2010.3.10 - 佐野支援分会ニュースへ
目的がなくなるさみしさはあります 生徒にこんなことを伝えるために これについてもっと知ろう こうなってほしいから 自分はこうなろう こういった目的がなくなってしまう不安はあります でもそれ以上にわくわくしています いろんな束縛から解放され 自分のしたいことができる 朝起きたらまずこれをして あの時期にはあれをしてと 楽しいことを思い描いています ところがそのわくわく感の中に最近 不愉快な心配が入り込んできます 経済的にいけるのだろうか バイト程度のことは覚悟しているし 少しの労働はしたいとも思うけれど それでやっていけるのだろうか 働く者 働いてきた者の当然の権利が狭められ 不愉快なことが増えてきているように思います 人間の集合が生み出した富を 一部の者だけが独占していいはずがない 働く者の結びつきが健全な社会を作るのだと思います ますます組合の価値を感じます それと 高校時代までは教師になろうなどとはこれっぽっちも考えなかった人間が あの70年代の流れに少なからず影響され 単純に 反戦・平和、反差別・平等を大切なものと思うようになったこともあって この教員の道に進みました そんな私にとって 組合は大事な拠り所としてあります 最後に すべてのみなさまに ありがとうございました
分会長Oさんのコメント
心にしみる文章ありがとうございました。還暦にて、フルマラソンを余裕で完走されるスーパーランナー炭鎌先生です。トライアスロンもされています。コンピューターの達人だったとは、後で知りました。これからも、一緒に走ってください。お願いしときます。
2010.3.13~15
『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた。
ドストエフスキー、何が言いたいのか、も一つわからず。
いくつかの死があった。フョードル・カラマーゾフ、スメルヂャコフ、そしてイリューシャの死で終わる。スメルヂャコフの死が雑に扱われていないか?
結局、上流階級の小説のように思う。そこが偉大なトルストイとの違いに思う。結局、無神論者もどきのドストエフスキーは宗教から離れられていない。歴史の流れ、澱みから出られていない。普遍性――木曜日の基礎の時間に憲法序文を扱い、それに出てくる――に達していない。
キリスト教徒、三男アリョーシャを持ち上げ過ぎている。二男イヴァンは無神論者だったゆえ病(?)に侵されるのか?父フョードルは何だったのか?
期待をしつつ読みつづけたが、不発に終わったというのが正直なところ。読解力がなかったのか。でも、もう一度読む気にはとうていなれない。
大学時代の初め頃に「あこがれた」、実存主義 - ドストエフスキー -「罪と罰」の域を出ていないように思う。
「小説は媚びる必要はない」というが、そうではないと思う。テーマが必要だ。テーマがないのなら日記の類で終わってほしい。公表する必要はない。読者に時間の浪費を強いるのはやめてほしい。
テーマはある。しかし、それを読者が読みとれない。共感できない。そこに失望、不幸が生ずるのだろう。満足か失望か、読んでみなければわからない。読書に限らず、映画などなどにもいえること。
要するに、「カラマーゾフ的バイブル」であったのでは。「無神論者」にはそう思えてならない。
2010.3.20
春風に 踊る葉を追う クマたのし
春風の 蝶に口づけ クマうれし
春風に 向いて進まず 足楽し
2010.4.2
朝井リョウ『桐島‥‥』読後。悪意でもって評するならば、「上」の者の高校生活を、カッコつけた文体でもって披露したもの。予定通りの最後は、善良な「上」の者のイライラを、「上」の者である自分を薄っぺらに自己批判し、「その他の者」のいい所を見つけ肩に手をやる。
2010.4.17
新しき出会いを前にドキドキか 若きを前にワクワクもあり
2010.4.28
・・・生きているものは、今日までに確立された「物理学の諸法則」を免れることはできないが、いままでに知られていない「物理学の別の法則」を含んでいるらしい、・・・その「別の法則」も、ひとたび明らかにされてしまえば、先のものと並んでこの科学の重要な一要素をなすものでありましょう。
・・・自然界で進行しているありとあらゆることは、世界の中のそれが進行している部分のエントロピーが増大していることを意味しています。したがって生きている生物体は絶えずエントロピーを増大しています。・・・正の量のエントロピーをつくり出している・・・死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいてゆく傾向があります。・・・生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピーを絶えずとり入れることです。・・・生物体が生きるために食べるのは負エントロピーなのです。・・・物質代謝の本質は、生物体が生きているときにはどうしてもつくり出さざるをえないエントロピーを全部うまい具合に外へ棄てるということにあります。
・・・直接の経験というものは。如何に多種多様であり互いに異なっているように見えても、それ自体が互いに矛盾することは論理的にいってありえません。・・・
・・・意識は単一の存在であって、同時に二つの自我意識というものは考えられない・・・
・・・この「私」とは一体何でしょうか? ・・・個々の単独なデータ(経験と記憶)を単に寄せ集めたものにほんのちょっと毛のはえたもの、すなわち経験や記憶をその上に集録したキャンバスのようなものだ・・・
--『生命とは何か』(シュレーディンガー 著)より--
2010.5.13
藤沢周平『一茶』読み終える。
「ただの人」の「爺臭い」生活の描写がいい。
司馬遼太郎の「歴史を作った」英雄の物語より惹かれる所がある。
2010.5.14
春落ちて 緑に染まる山の道 水面に冴える鶯の唄
2010.5.17
チョーク持ち 因数分解 生徒らと 放課後の窓に五月の夜風
2010.5.24
・・・自然科学においては、その関連は最後には簡明である・・・。自然は理解され得るように作られている・・・。・・・われわれの思考能力は自然を理解し得るように作られている・・・。
・・・言葉というものは特有のむずかしい性格を持っている。一つの言葉が何を意味するのかということを、われわれは決して正確には知らない。われわれの使う言葉の意味は、その言葉の文章の中の結びつきや、その文章が述べられたときの前後の脈絡で、またわれわれが全部を数えあげることは決してできないような無数の付随的事情がからんでくる。・・・
・・・量子力学において、われわれは抽象的な数学的な言葉の中に、非常に広範囲にわたる統一的な秩序を定式化することができた・・・。しかしわれわれは、普通の言葉でこの秩序の成果を記述しようとするときには、比喩や相補的な考察方法に頼り、逆説や外見的な矛盾を我慢しなければならない・・・。
--『部分と全体』(W・ハイゼンベルク 著)より--
言葉「我・おもう・ゆえに・あり」を「普通」にとらえるなら、因果の関係からして、「我あり、ゆえに我おもう」が正しい。唯物論的とらえ方でもある。それをデカルトはあえて反対にいう。
(2010.5.26 -- 伸司)
2010.6.2
プラトン『饗宴』、読み終える。あまり得る所なし。
エロス(愛)について、結局はギリシャの有閑者たちの言葉遊びにすぎないような・・・。
2010.6.8
一石賢『量子力学がわかった!』、2回目読了。
前回よりわかったように思う。
2010.6.11
藤沢周平『白き瓶』、読了。
「歌」はだれにわかってもらいたいか?「歌をする人ら」であれば「形式」にこだわるのもいいとは思う、が、そんなんでいいのだろうか。その点、一茶、子規の「道」は共感できる。「万人」がよんで「おもしろい」と思えるものであるべきだと思う。その点、長塚節の歌は「かたい」と思う。時代の限界ではあろうが。
2010.6.14
小説(本)を読むことにより、自分以外の人生の一端を味わうことができる。それはどこかに共感できるものがあってほしい。時間のムダ、失望で終えることがたまに(チョクチョク)あるのは仕方のないことか。
2010.6.16
小説を読みて人生の道草す どうせならなら 風さわやかに
姫踊子草ってしってますか?
道端によく咲いています
しぶい緑色の着物に しぶいピンクの顔をしています
10本ほどの仲間とかたまって咲いています
姫踊子草ってしってますか?
この冬 犬と妻との散歩中に「この花なんちゅうの?」と妻にたずねたら
当然のごとく「姫踊子草」って返されました
妻は物知りです 特に草花に関しては任せてください
姫踊子草っておもしろい名前ですね!
だけど 僕の頭の中にはなかなか入りません
妻に「何でも知ってるな」って言うと
「お父さんが数学の公式を知っているようなものよ」って返されました
妻には草花に対する愛情があるのでしょう
僕には数学に対する愛情があるのでしょうか
姫踊子草ってしってますか?
妻に教えてもらいました
春がやってくると 20本、30本とかたまって田舎舞台に立ちます
念入りにお化粧などして 頭には可愛らしいピンクのかんざしなどして
姫踊子草ってしってますか?
春が過ぎた今 姫踊子草はどこへ行ったのでしょう
たぶん このしおれた老いた体 遠慮がちに支え合ってあるこの草が
次の出番を待つ踊り子なのでしょう
次の出番まで 目立たぬ日々をそっと過ごすのでしょう
(2010.6. -- 伸司)
72才までおやじと競争しよう
72才でおやじは死んだ それまで働きつづけた
ゆっくりかもしれないけど、止まることなく働きつづけた
金もうけはとうていうまくはなかったけど 体を使って働きつづけた
最後の方は箒を持って掃除をするだけの日が多かったかもしれないけど
とにかく、体を使って働きつづけた 72才まで体を使って働きつづけた
72才のゴールに向かって働きつづけた
72才でポックリいった 72才のゴールを終えて、
ゴールの余韻を楽しむこともなく、ゴールをしたとたんポックリいった
ラストランでも家族からの声援もそんなに受けることもないまま、
静かにゴールし、静かに去った
とにかく、おやじは走り通した 72才を走り通した
そんなに早くはなかったかもしれないけど走り通した
これからのオレの12年間、おやじとの競争だ 前を行くおやじとの競争だ
(2010.6.17 -- 伸司)
2010.6.21
私にとってどうでもいいこと、必要とは思われないことが、組織にとっては重大なことであったようだ。そんな組織に従うのがバカらしくなった。今日の授業のことが大変気にはなるが、組織に忠実なあの管理職たちがどうにかするだろう。
過去のことを思い出すには、脳に蓄積された言葉に頼らなければならない。今を考えるためには、過去に生み出され、抽象化された言葉を使用しなければならない。それが非常に曖昧なもの、時に、見当違いなものであろうと。次を想像、創造するにも人間は多くの場合、脳に蓄積された言葉に頼る。
(2010.6.21 -- 伸司)
2010.6.20~27
相対性理論の内容をほんのニ三行で説明するには‥‥「いままでは、宇宙からもしすべての物質がなくなってしまっても時間と空間はまだ残ると考えられていましたが、しかし相対性理論によれば、時間と空間は物質とともに消えてしまうのです」
夫人への相対性理論を理解したかどうかの質問に‥‥「夫は何度も説明してくれましたが、やっぱりわかりません。しかしそれは私の幸福にとっては必要なことではありません」
特殊相対性理論 ①特殊相対性原理‥‥すべての物理法則は、互いに等速並進運動するすべての惰性系に対して、同一の形式で与えられる。②光速不変の原理‥‥惰性系に対する真空中の光の速度は、光源と観測者の相対速度に関係なく、すべての方向にすべての観測者に対して同一の値をもっている。
平和主義 「私の平和主義は、本能的な感情です。それは、殺人は胸が悪くなるほどいやなものであるという理由から私を捉えている感情です。私の態度は、どんな知的理論からでてきたものでもありません。それはあらゆる種類の残虐と憎しみとに対する私の強い反感にもとづいているのです。私はこの反応を合理化すべく進んでいかなければなりません。しかしそれは実は後天的な思考になるでしょう。」
--『アインシュタイン』(矢野健太郎 著)より--
2010.7.2
スタインベック『怒りの葡萄』、読了。良かった!
期待した展開 ― トムが「事を起こす」― にはならなかったけど、またそこがいい所でもある。やられ続けても、同じもの同士かたまって生きつづける。死ぬ者もあるが、かたまりとして、他に探しようのない道を歩みつづける。怒りはだんだん大きく、確かなものになっていく。この怒りは次につながっていく!
2010.7.1~7.3
‥‥われわれの心の働きがどんなに精緻であろうとも、どんなに微妙であろうとも、あるいはどんなに幽玄であろうとも、「精神の気」のような霊気のしわざでわなく、大脳皮質を組み立てている150億の神経細胞の複雑精巧な統合的なプロセスによって醸しだされているものである。‥‥どんな高等な精神活動でも、どんな微妙な心の働きでも、結局は、大脳皮質の網目のなかのインプルスの流れに還元することができる。
‥‥われわれ人間は、広い連合野をそなえた大脳皮質をもっているからこそ、人間として思考し行動できるのである。‥‥動物が高等になるほど、前頭葉がよく発達している。‥‥人間では、前頭葉の面積は大脳皮質全体に対して30%‥‥、イヌでは7%、ウサギでは2%‥‥。前頭葉が意志や計画や感情など人間だけがもっているとさえいえる精神機能を営むということを考えると、‥‥
われわれの意識を支える網様体は、ここへ流れこむ感覚の信号によって駆動されていると同時に、大脳皮質から流れこむ信号によっても、その働きがコントロールされているのである。このように大脳皮質は網様体の活動に積極性をあたえることができるのであって、これまた、意識の自主性の生理学的基礎であり、自由意志の表現であるのだ。
--『心と脳のしくみ』(時実利彦 著)より--
2010.7.12
玄関にセミの抜け殻一つある 耳をすませばカエルの合唱
2010.7.13
蝉の声 朝ゆく道にひとかけら
2010.7.17
草はぬれ 梅雨明けの朝に 陽は輝る
草ぬれて 梅雨明けの朝に つゆ輝る
2010.7.18
梅雨明けて 草にひとつぶ 露まぶし
2010.8.4~8.13 -「三叉神経痛」手術のため入院
2010.8.5
痛い時には、怖い夢を見るようだ。脳の中に占める痛みを感ずる位置と、恐怖を感ずる位置とはたぶん、接近しているのだろう。
2010.8.12
深夜0時 FM楽しむオヤジあり 娘もすなり具体音楽
2010.9.24
真・善・美 何処に在りや 哲学す 酒をつまみに熱く語らう
哀れかな 尊さあるかな この道は 時を気にせず 時に漂う
哀れかな 楽しきなのかな この道を 時を気にせず 時に漂う
2010.9.29
白と赤 緑の中に冴えてある すっくと鷺が 彼岸花りん
2010.10.
天からの贈り物 今日は雨だ
2010.10.29
だれかの思い付きの言葉が、世の中の常識となる。そんな非常識な事がよく起こる。最近でいえば、テレビ番組がその役割をよく果たしている。遥かの昔でいえば、キリストが神に奉られる過程、そこにも、そんな非常識が存在したのだ。科学的人間存在の欠如。
2010.12.30
クマが鳴く
「もう起きろよ」とクマがなく
クマが鳴く
「ションベンしたい」とクマがなく
クマが鳴く
「オリから出せ」とクマがなく
せつない声でクマが鳴く
俺の心にムチを打つ
怠け心にムチを打つ
さあ始めよう
一つの犬と ちっぽけな一つの人との
いつもの一日を
2011.2.15
霜を踏む 冷たき朝に 靴が鳴る
夢の中でこんな小説(物語)を書いたら面白いかな、と。
放課後、掃除、男3人と女3人の班で。女1人ゴミ捨てのみ。女1人サボる。3日目の水曜日「どうなってんや!ええかげんにせーよ!女のくせに!」キーワード(題名)が思い出せない。夢うつつで考えていたら「これはいい」と思っていたが。そうでもなさそう。やっぱり夢=観念で満たされた世界と、現実=実在によって検証される世界とではちがうようだ。
2011.5.26
我思う ために我食う ゆえにパン(物)在り
2011.6.9~21
千枝、和医大へ入院
2011.6.22
ほとんどの哲学 - 唯物哲学以外の - は批判の対象である。科学 - 唯物論によって。
折り紙 - 犬のウンコ皿作り - をしながら考える。進化の過程を。今までしていなかった「折り目をつける」という「一つの過程(おもいつき)」。
2011.9.1
「哲学の会」(Nさん、Mさんと)最終回
8月末の日曜日は、珠洲のトライアスロンに行ってきました。
まだなんとか完走(最後のランではチョット歩きましたが)できました。
今回は久々に嫁さんもついてきてくれました。
犬たちは、いつも利用しているペットの病院に預けていきました。
土曜日はオートキャンプ場にテントを張って泊まり、日曜の晩から次の朝にかけては、千里浜の国民休暇村でゆっくり過ごしました。ここの休暇村は人気があるようで、日曜の晩だというのにいっぱいで、偶然キャンセルがあったので泊まれたしだいです。むかし、みんなで来たことを懐かしく思い出したりしました。その時より、だいぶんきれいになっていました。散策など健康志向の活動メニューもいろいろ用意されており、ここも年金生活者にターゲットを当てた経営をしているなと、思ったりました。
メール、きのう見ました。岐阜では、そちらの苦労も知らずに、勝手なことを言ったりしたのでは、とも思っております。
勝手ついでに。経済的になんとかなりそうで、仕事にもそんなにやりがいとか感じられなくなったのなら、辞めてもいいのではと思います。お袋に関わる時間、精神的負担がどのくらいになるのかはわかりませんが(ここが本当はだいじな所なのでしょうが)、私のいい加減な、一年ちょっとの経験から言いますと、「やめて(やめれて)よかった」です。
今、「ダンゴムシに心はあるのか」を読んでいます。なかなかおもしろいです。岐阜へ行ったらまた持って行きます。
ダンゴムシも人間も自然から生まれ、自然の中に生きるもの。そして消えるもの。そんなに違わないのでは。ダンゴムシの方が先輩ですね。
生きがいとか、役に立つとか、人間社会には必要なものなのでしょうが、ダンゴムシはそんなことには無関心。たぶん。そんな(?)ダンゴムシのような生き方は、今の社会では許されないでしょうか。
また勝手なことを言えば、何年間か働いてきた者、苦労してきた者への御褒美として、人生の終わりの方にでも、そんな生き方が、あってもいいのではと思ったりします。
(2011.09.03「よつば会」宛メール - 伸司)
2011.10.2
土畑をまばらに縁取る彼岸花
2011.12.10
初霜に黒柴冴える 野は冴える
神=自然? 神はもう必要ない!
「「魂」は永遠に存在する」か? 「「魂」とは何ぞや」が問題となるが、ここで言わんとする「魂」は永遠には存在しない。「その人の魂」は存在することなく、「その人の思い出」が、残されたその人に関係した人の「記憶」に残るに過ぎない。「記憶」は
(2012.1.26 - 伸司)
石原慎太郎『完全な遊戯』を読んで・・・
一言。「なんや、これ」。
奥野健男の「解説」たるや。「・・・純文学者として・・・生と死の限界にかける人間の状況を追求し続けて来た。『完全な遊戯』は・・・倫理を否定した人間の本能に根づく自然ともいえる非モラルの世界・・・とことんまで追求した作品である。・・・偶然から女を拾い、もて遊び、最後に殺してしまい「この遊びは安く上がったな」とうそぶく青年達には世間の同情や共感をひくものはなにもない。それを敢えて書いた作者の勇気と真実にぼくは脱帽したい。この作品は何か深い暗いものをぼくたちの心に残す。『完全な遊戯』はそのまま完全な芸術である。」ときた。武井昭夫ではないが「笑っちゃいます」。「完全な芸術」とは呆れる。「純文学」とはそんなものか。「同じ右」でも曾野綾子の「海の御墓」はまだましだった。死に対する冷静な姿に共感を覚える。ここで「右」とは、現状 - 一部特権階級が大多数の働く者の創造物の上にあぐらをかいている状態 - 維持を意識的、無意識的にかかわらず肯定する者。
(2012.1.27 - 伸司)
「正の命題」と「偽の命題」
命題=「‥‥は‥‥である」。定義=「‥‥とは‥‥である」。検証とは、実在を確認することである。検証されない命題は偽である。
(2012.1.28 - 伸司)
「哲学者」と神
人も自然の中に宿ったちっぽけな一つにすぎない。意識はその人の中に宿った自然の一部にすぎない。その意識を、人 - 特に「哲学者」 - は大げさに扱う。ついに逆転し「意識があるから物が存在するのだ」と言い出す。そして全ての創造物=意識を持った神なるものをつくり上げる。
(2012.1.29 - 伸司)
ランニング後のストレッチ
①ふくらはぎ30×2 ②アキレス20×2 ③腕立て30 ④肩20×2+α ⑤太もも裏20×2 ⑥足指裏~太もも20×2 ⑦ふくらはぎ~膝20×2
ストレッチと進化論
ストレッチのパターン、長年の試行によりほぼ確定する。「進化」に通ずるものあり。良しとするもの、時間の制約に適するもの、適度な刺激・心地よきもの、・・・これらの種目が、これらの過程で残され受け継がれる。そこに必然性あり。思いつき、偶然は必然に支配される。
(2012.1.30 - 伸司)
現象の説明
「パー5のコースでホールインワンがなった」という事実があったとする。 ①それは神がそうした ②心霊現象だ ③その日はたまたま台風模様であり・・・ 私は①②の答えを拒否する。
(2012.2.2 - 伸司)
無限
無限は存在するか? 自然の中には無限は存在しないだろう。無限に近いものは存在するだろうが。けれども、数学の中には無限は存在する。数学 ― それは自然の中に宿ったものではなかったか。自然の中に宿った人間、その人間の中に宿った観念、その観念の中に宿った数学。無限、この得体の知れぬもの。
(2012.2.16 - 伸司)
2012.2.20
春を聞いた 鶯が鳴いていた
右手で投げ、左手で取り
左手で投げ、右手で取る
そして、右手で・・・
コンクリートの壁に当たるその音は
規則正しく、重く、強く、若々しい
僕より一回りは上だろう
その人は最近、少しではあるが、ゆっくりと
コツコツ走りはじめた
何かを頑張っている
(2012.2.22 - 伸司)
2012.4.5
数学=数(量)についての学問
「〇+△」「〇-△」 〇と△の質(単位)が同じでなければならない
「〇×△」「〇÷△」 〇と△の質(単位)は同じでなくてもよい
数学に出てくるもの 数字(3,-√2,…)、文字(x,e,…)、記号(+,=,…)のみ
{数学|{数|数字,文字},{記号|操作,関係}}
・{数}と{操作}によって、新たな{数}が生まれる
・(左辺{数}){関係}(右辺{数}) ここで、両辺の数の質(単位)は同じでなければならない
この実に単純な(数と記号だけの世界とうい意味で)数学は、自然界を理解する上で重要な役割を担う
(2012.4.6 - 伸司)
2012.4.19
ロンドンオリンピック-マラソン代表=藤原選手と金氏との対談で「重力を味方にできた走り」というようなのがあった。「なるほど」と思う。年をとるとなかなか難しいが。水泳ではまだ余地があるような気がする。
みなさん、お疲れ様でした。
月並みな言い方ですけど、兄貴がどんと後ろで構えていたから、孝三もなんとかやり終えることができたのだと思います。
これも月並みな言い方ですけど、これからの残り少ない(?)それぞれの人生を残してくれた、親父、お袋のためにも有意義に過ごしていきましょう。
お母ちゃんが灰になった
子供のために、ほんとうに子供のために
人生の大部分をつらくても ふんばりつづけた
お母ちゃんが灰になった
お母ちゃんの肉体は灰になって そして消えたけど
お母ちゃんのふんばりは 子供たちの肉体の細胞に確実に残っている
お母ちゃんが灰になって そして消えた
私ごとですが、昨日、悠の出るライブに、親ばか二人で行ってきました。シアターカフェNyanという、初老の私たちにとってはちょっと変わった所でありました。シアターの合間のライブBに、友だち二人とパソコンやら広げて、30分ほど出てました。まあ、こうゆう世界もあるのだなあと思いながら、帰りに焼き鳥屋で飲食して、孫2匹が待つ家路を急ぎました。
悠の世界
だいぶんのノイズ
ちょっとの哲学
ちょっとのユーモア
そして、おおくの不思議
(2012.6.25「よつば会」宛メール - 伸司)
大介へ
お母さんへのメールのこと、チラッと聞いて驚いています。あちら(式場)のペースにのり過ぎているのではないでしょうか。担当の方は新郎新婦によかれと思いいろいろ助言してくれているのだとは思いますが。遠い昔の自分たちの結婚式のことも思い出しながら、反省も含め考えさせられます。こちらがこうだからこれでいいのだというのであれば、それで通す所は通すべきだと思います。体のことを考えたら、着物より洋服である方が式に快くのぞめる。「格式」のことなど考えて、窮屈な状態で、楽しむべきひと時を無理して過ごすことにどれだけの意味があるのか。格式にこだわらない、内輪だけの楽しい結婚式になることを私は望んでおります。
蛇足。ぶっきら棒な言い方しかできず、子供たちにいやな思いをさせてきていることを感じます。「金八先生」のように感情を言葉によって表現できたらいいのにと、無い物ねだりを考えたこともあります。しかし、自分は自分だ。これしかない。努力はしようが、できなければ仕方がない。これでいこう。ということで、行き当たりばったりでやってきました。これからも、そんな長くはない人生これで行くでしょう。迷惑かもしれませんが、よろしくお願いします。
(2012.9.22 - 伸司)
大介へ - オヤジより
手紙ありがとう。返事を大介のように、自筆で書くべきだとは思いますが、自分にしか読めない乱筆でないと次々と書いていけないので、ワープロにして出します。
さて、何を書こうか。オヤジ(大介の父方の祖父)のことを書こう。と、書き始めたのですが、大学ノートに6ページ程書いてもなかなか話が前に進まないので、これについては今回は止めにします。ということで、今回は「大介とそのオヤジに関する3大事件」を取り上げることにしました。
さっそく、その1。
君はまだ小さかったので記憶にないと思いますが、沖縄のガマでのこと。Z交(これってなに?と思うでしょうが、今回は説明を割愛します)に家族4人とおばあさんとで参加して、その時に平和学習の一つとして、ガマに入りました。中は暗くて下はグチュグチュ。悠はお母さんに抱っこされてて大丈夫だったのですが、大介君は父ちゃんと手をつないでいるだけで不安だったのでしょう。「こわいよー」と言って泣き叫びました。他の参加者たちがガイドさんの声に耳を傾けている時に、息子が大声を出している。そこでお父さんは幼い大介をしかりつけました。その後のことはあまり覚えていませんが、後々になってもこの場面だけはよく頭に浮かんできます。父親はその場で何を守ろうとしたのか?これからの長い人生を強く生き抜くためにあるべき道を悟らせなければならない息子をか?建て前はそうだったにしても、本音はそうではなかっただろう。本音は自分自身の立場を守ろうとしただけ。ガマでの時は、まだ小さかったのでそんなに感じていなかっただろうけど、その後もたびたびこのような場面に遭遇し、感性の鋭い大介君は、父親の建前と本音のギャップを感じ取っていたのだろうと思います。
第2の事件。これは覚えているでしょう。
中学生か高校生の時だったでしょう。家族4人で夕食の最中。奥に座っていた大介は何かを取ろうとして、テーブルに足を掛け乗り越えていく。それを見かねた父親は怒りを爆発させ、2人は取っ組み合いを始める。テレビドラマにある場面さながら。オヤジはここで負けては父親の立場が危うくなると必死。これもその後どうなったかよく覚えていないが、障子のサンが壊れるなど、当人2人の心身とともに家屋にも相当のダメージがあった。この頃がいわゆる反抗期の絶頂で「どうしようもない息子」であったようだ。世間によくある話だけれど、子供が親をためしている時期であったようにも思う。「こうしたらどうでるか」「どこまで許すか。黙っているか」。お母さんによく言われた。「父親らしく、もっと息子に言ってやってよ」などと。ここで告白すると、一番ショックだったのは、悠に「お父さんはおどおどしている」と言われたこと。この時期、よく出て来たのはオヤジの面影だ。「こんな時オヤジだったらどうしていただろう。オヤジもやっぱり黙っていただろう。オヤジのようにオレにも上手な言葉がない。オヤジがしていたように大きな(オレには大きなものはないけど)背中を見せているしかないだろう」。そんなんでオヤジを借りて、自分を正当化していた。
次で終わり。第3の事件。
「ぶちかまし」。覚えているだろうか。一つ覚えのオヤジの料理。「きょうはなんや?」「ぶちかましや」「なんや、またぶちかましか」と言いながらも、うまくもないものを、悠と一緒にうれしそうに食べてくれた。そんなんが、大事な思い出の一つとしてあります。
以上、結婚祝いの手紙としてはふさわしくないものになったかもしれませんが。父親が息子に手紙を出す。したくても、なかなか出来ない、こんな機会を作ってくれたことを感謝します。
(2012.10.19 - 伸司)
奇跡を手にした2人に、おめでとう!
まず、今日のこの楽しく、和やかな時を作り出してくれた新郎新婦2人の出会い、結びつきに、「ありがとう!」。そして、その結びつきがそれぞれの親族にまで広められたことをこの場で確認することができました。皆様方、2人のためにご出席いただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
改めて、Mさん、大介、結婚おめでとう! 人生の中にはいろいろな区切りがあります。最大の奇跡である誕生。自然の流れに任せるしかない死。あとは人間社会に特有なものとして、学生時代の始まりと終わり。それにつづく、働く者としての始まりと終わり。など。それらの区切りの中でも周りに一段と祝福されるもの、それがこの結婚式でしょうか。
さて大げさな言い方かもしれませんが、一つの見方として、結婚とは「2つの文化の結合の場」としてとらえることができるでしょうか。それまでそれぞれの文化の中で生きてきた男と女が、一つ屋根の下で暮らし、新しい文化を創造していく。たいへんなことです。
暗いのがいやで、開けっ放しを好む男は、大雨が降っても雨戸を閉めたがらない。用心深く、外からの目が気になる女は、日が傾いたら、電気を点けてすぐ雨戸を閉めたがる。等々。
一つの屋根の下で2つの文化がぶつかり合う。そこで必要となるのは何でしょうか。
「お互い様ですから」。この言葉がMさんの口から出るのをそんなに多くはない付き合いの中ですけど、何度か耳にしました。この人は自分の文化の中に、自然にこの言葉を受け入れている。そう勝手に思い込ませてもらいました。相手を思いやる心と同時に、自分のよって立つところは譲らない強い意志をも、この言葉の中に感じます。
2つの文化がぶつかり合って、相手に対して「ムムッ」と感じた時、この言葉、
N家で培われた、「お互い様ですから」を心して、乗り切って行ってほしい。特にそういった文化が薄かった炭鎌家の一員として育ったわが息子に対しては、強くそう思います。
私たち周りの者は、時には厳しい目を向けることもあるでしょうが、あなた達2人が、一つ屋根の下で末永く、2つの文化をうまいこと合流させて、それぞれの人生を「おもしろきもの」とされんことを、暖かく願っております。
やっぱり最後は「おめでとう」で締めくくります。 世界の幾億人という中から、それぞれがたった一人を見つけ出し、生涯のパートナーと決めた。すばらしい奇跡です。その奇跡を手にした2人に、「おめでとう!」
(2012.10.20 - 伸司)
大介へ - オヤジより
調子に乗って2回目の手紙を出します。
結婚式の疲れ取れましたか。式の後の焼き鳥屋での会談でも疲れたのではないでしょうか。私は、あんな場を設けてくれたことをうれしく思い、疲れなど吹き飛びました。ただし、お母さんにはショックな言葉もあったようです。
さて、大介が話してくれたことから、さしあたり2つについて答えねばと思います。
1つ目。「マンション購入の件、キャンセルしとく」に対して、その場ではウンともスンとも答えなかったので、今、考えていることを。2つ目。大介のことだから人に言われるまでもなく、自分で解決するだろうとは思いますが、「溶接の仕事自体は気に入っているが、身内優先の職場の雰囲気に問題を感じ、職場を変わりたいと思うことがある」ということについての参考意見。
1つ目について。…円は私たちにとっても大金ですが、銀行を含めた金貸し屋に何の苦労もなく儲けさせるのがいやなので、必要であればなんとか都合しようと思います。もちろんあげるのではなく貸すのですが。しかし、今回は大介自身が結論を出したように、止めとくのが正解のように思います。次の転機まで待つことにしましょう。何年か苦労して貯金し、これなら2人の力でやっていけそうだという目どがついた時とか。(こんなんが理由になるかどうかわかりませんが)子供が授かった時とか。次の転機までに支払い続ける家賃のこと、次の転機に今回見つけたようないい物件があるかどうか、いろいろ問題もあるでしょうが、待つほうがいい結果を生むような気がします。そうなるように努力してください。ただし、その転機までに不測の事態等が発生して、貸す資金がなくなっていたらごめんなさい。そうはならないようにこちらも努力します。
2つ目について。大介ほどではないかもしれませんが、私も教師を止めたいと思ったことは何度もあります。それでも止めなかった、止められなかった大きな理由は、やっぱり経済的なことを考えたからでしょう。職場で面白くないことがあった時には、ちょっとがまんして、給料のため、生活のためと割り切ることも必要でしょう。すでにしているかもしれませんが、職場以外で、「自分みがき」の場を作り出したらどうでしょう。仕事で心身が疲れきっている所に、そんな時間を見つけにくいかもしれませんが、一日、いや一週間のほんのちょっとでもとれたらいいと思います。溶接に関することを研究しまくるとか。がらっとかわって、スポーツをするとか。人に誇れなくても自分に誇れるもの。無理せず、楽しくできることがあったらいいですね。
思いつくまま勝手なことを書きました。特に1つ目のことについては、なんでも遠慮なく相談してください。では今回はこれまでにしときます。
(2012.10.22 - 伸司)
うれしかな 心かよわん姉孫と 結ぶ影あり よつ葉の茎根
(2012.11.12「よつば会」宛メール - 伸司)
勝っちゃんは今年も走る
オレも走る
勝っちゃんが前をゆく
折り返し点で声をかける
「勝っちゃん、ファイト!」
勝っちゃんは一途に走る
一回、二回、三回、
「勝っちゃん、ラスト!」
オレもゴール
汗をふきながら ポツポツと言葉を交わす
勝っちゃんは元気か
(2012.11.27 - 伸司)
2012.11.28
どっちもいやだけど
人を傷つけるより、傷つけられる方がよい
戦争で殺すより、殺される方がよい
どっちもいいけど
花をもらうより、あげる方がよい
自由を与えられるより、克ちとる方がよい
そんな人でありたい
退職おめでとうございます。これからは、楽しみ8割以上で過ごしていきましょう。
暇が出来たら、こちらへ来て、1週間ほど、きょうか合宿しませんか。プログラム考えときます。
(2012.11.29「よつば会」宛メール - 伸司)
誕生日メッセージありがとう。
去年の誕生日プレゼントにいただいたモモヒキ、今年も温かくはかせてもらってます。
また一緒に飲みましょう。小言でるかもしれませんが。お待ちしております。
(2012.11.29 - 伸司)
2012.12.9
ゴミ収集車とすれちがう時、我は哲学す
レ・ミゼラブル 映る姿の 一本一本
「一本一本」にしたたかさ、愛情を感じます
(2012.12.23 - 孝三へメール - 伸司)
2012.12.23
子供のころ、ほんとうに思っていた
「みんな、おれらみたいやったら、いい世の中になるのに」
ユートピア
2012.12.24
あってよし 一日初めの ああしんど
あってもいい 一日初めに 「ああ、しんど」
2012.12.27
クマはある はく息白し 足どり楽し
2013.1.1
年始め いつもと変わらぬ 朝の道
元旦に よりましな パンツはく
朝の隣人 (番外一)
「かろやかやねえ」
「ほんとかろやかやわ」
「かろやかに走ってるわ」
三人のおば(ー)さん達とすれちがう
本日の健康記録 △から〇に変更
2013.1.9
2013.1.10
旗の紐 凍てつく柱に 潔きリズム
2013.1.12
陽も昇る 霜のこる落ち葉に 寒さ踏む
2013.1.13 - TSSラン&新年宴会
泳ぐこと、生きることについて、考える時間を持った
2013.1.16
受けて 観る 犬の糞の煙 みごとかな
パッとよんだらパッと解る句を佳としたい
そこに味がなければ句ではないが
2013.1.17
葉牡丹の虹色うめるメロウな水玉
2013.1.18 - 夫婦城崎温泉旅行(1.18~19)
荒波に負けじと侘し竜宮城
氷の灯篭、富士の絶景。いいですね。
私どもも、めずらしく夫婦水入らずで(毎日そうですが)、今月の18,19日に城之崎温泉に行ってきました。息子夫婦が結婚記念日にと、プレゼントしてくれました。7つの外湯のうち4つを制覇しました。カニ料理も、「つうは先のほうは食べないですよ」という仲居さんの言葉にもめげず、こちらは完全制覇してきました。
はしご湯の待ちつ待たれつ夫婦仲 息子夫婦の思い浮かべて
いろいろと見所もありました。一日目、マリンワールドへ行くバスの中で、チュニジアの男性とイタリアの女性のカップルと近づきにもなれました。
新聞の地図を拡げて君を想う アラブの春と過ごす日々かな
二日目には、ご当地キャラクターの「玄さん」で有名な(?)玄武洞へも行きました。売店の中のミュージアムでは「へー、すごー」の連続でした。
在ることで 寒さ忘れる 玄武洞
この月の半ばから、「泉南混声合唱団」に入団しました。苦戦しております。
コーラスよ 余生にちょっと春うらら
新年かと思ったら、もう1月も終わりです。
元旦に よりましな パンツはく
よつば会の旅行楽しみにしています。
(2013.1.30「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.2.3 - 口熊野マラソン
熊野路に 疲れた足で夢を探る 伊勢路の温泉 よつばの笑顔
「石牟礼さん、地球環境の殿堂辞退」のなにげない記事を目にし、生意気にも歌を思いたった。
テレビでドキュメンタリーをちらっと観たとか、数多く出されている書物の中の少しばかりを手にしたとかだけの私でさえ、石牟礼道子氏の人柄、生き様に、強く惹きつけられている。
自然の中に生かされている人間が、時として自然に対して理不尽を犯す。その理不尽を正すべく、弱き立場の人々が、時に死をも以って、告発する。それでもその告発に対して無関心であり続ける人間(私も含めて)に、石牟礼氏は呼びかけ続ける。「今を知り、今から遠からず、今を生きよ」と。
そんな石牟礼氏に「殿堂入り」の話が舞い込んだ時、これを契機により多くの人が「水俣」のことを知ることになれば、とも考えられたことだろう。しかし氏は、
名はいらぬ 水俣を知れ 次の人々 死をも見つつ 自然を生きつつ
水俣なお 苦海浄土の道険し 優しき言霊で 我らを導け
(2013.02.15 - 伸司 - 朝日新聞に投稿するもボツ)
昨日、泉州マラソンがありました。35kmまではまあまあだったのですが。
帰ったら、うちにも雛人形が1対飾ってありました。
寒走の苦行に駄賃 旅枕
玄関に 春を迎える雛人形
(2013.2.18「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.2.20
ピーヒィピーヒィとえんりょがちな声いずこ 巣立ちの枝にまだ母を乞う
松阪に 石垣のこす こほり風
春近く 舟が導く 磯の宿
法隆寺 花なき
金堂、五重塔を擁し、斑鳩の地に大きく構える法隆寺
今はまだ冷たく、花も少ない季節なのに、
それはロマンを呼び、人の心に美しき花を添える
中に蔵されたる数多の仏像を見よ
なんと神秘な、安らかなる微笑をたたえたること
全てのものをつつみこむ豊かさ、穏やかさが感じられる
それでいいではないか
なのに、俗で、下賎で、浅はかな私は、
花の根を見ようとする
また一つ、楽しい思い出ができました。いろいろと計画していただき、ありがとうございました。こちらのカメラで写した写真、初日の分を送ります。
(2013.3.1「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.3.1
如月から弥生へ
朝のランニングにも 昨日まで必要とした ウインドブレーカーはいらない
ぬるめの風あり
「おはようございます」
「おはようございます」
一つの存在がもう一つの存在を認め あいさつする
もう一つの存在が一つの存在に気づき
その存在を認め あいさつする
カラスが「カー」と鳴く
・・・
もう一度「カー」と鳴く
「カー」と答えてやる
・・・
カラスのもう一つの存在は どこにあるのだろう
2013.3.5
数学つれづれ
今、塾で新中1年生を教え始めています。
中1のはじめに「正の数・負の数」がでてきます。今までわかりきったこととしてきたことが、そうでもないことに気づかされることが多々あります。教材(教科書は?)の説明の不備、不十分点も気になります。逆に、どこまで突っ込んでこちらの持ってるものを相手に伝えたらいいものかも、迷います。あまり厳密にしすぎると、嫌気がさすだろうし。
教材の大まかな流れは以下のようです。
1. 「-」の概念を身につけさせる
例)「右へ -3m」を「左へ」を使って言い換える
数直線上で「+5 の位置から -2 移動した位置」
2. 正の数と負の数の足し算
・同符号のとき、符号は変わらず、絶対値は和
・異符号のとき、符号は絶対値の大きいほう、絶対値は差
(絶対値については1. にでてくるが、記号はでてこない)
例)(+3)+(-5)= -(5-3)= -2
3. 正の数と負の数の引き算
・足し算に直してからする(符号が変わる)
例)(-3)-(-7)=(-3)+(+7)= +(7-3)= +4
4. 3つ以上の項の足し算、引き算が混じった計算
・引き算があれば足し算に直す
・正の数同士、負の数同士の足し算をする
例)(-3)-(-7)+(-2)=(-3)+(+7)+(-2)= (+7)+(-3)+(-2)
= (+7)+{-(3+2)}= (+7)+(-5)= +(7-5)= +2
5. これまでは数には必ず符号をつけて( )でくくっていたが、
これからは( )をなくしてから計算する
例)(-3)-(-7)+(-2)= -3+7-2= 7-3-2= 7-(3+2)= 7-5= 2
2学期ぐらいから文字式がでてきて、
「掛け算の記号(×)は省略できる」がでてくる。
そのときに 3a-(-b)= 3a(+b)= 3ab としたりする。
意識付けが必要な事項
・数は符号と絶対値からなる(0 はのぞく)
正の符号(+)は省略できる
・式は演算子(この語はでてこない)と数からなる
数と数の間にくるのは演算子
式の中の符号つき数は( )でくくる(先頭にある場合はのぞく)
・計算になれたら、なるべく符号つき数は使わない
(2013.3.16 - 孝三へメール - 伸司)
2013.4.5
芝張りの両手に馳走 春の土
2013.4.8 - 大介へ
君は今、大切な心の支えを失くしてしまったけれど、
家族という支えがあることを忘れないでほしい。
「甘え」のつっかい棒としてではなく、前に進むための杖とせよ。
いうまでもなく、地を踏みしめるのは、自分の足、肉体、精神。
未だ夢にあるこの耳に
やわらかなバイクの音が届く
確かに激しく戸を打つ風がある
あゝ、今、かの地で
我が
親から受け継いだ弱きものの中から
一つを取りだして強きものに育て上げんとす
その姿を私は誇りに思う
未だ静寂の中を
やわらかなバイクの音が遠ざかる
早起き鳥のさえずりを枕に
またも惰眠をむさぼる
二週間前に植えたインゲン豆の種は
いつ地上に顔を出すことやら
(2013.4.19)
よつば会で伊勢の旅に行って、本居宣長記念館に寄った時、一つの掛け軸が目についた。そこに描かれていた自画像より、むしろ、隅に書かれた題、「自画自賛」というのが面白いなと思った。
それから何日かしてから、まだ寝床の中にいる時、バイクの音 ― 新聞配達の人がもう来たことを知らせる音を耳にした。孝三のことを思い、言葉の列を組み立てた。
孝三のことを褒めることは自分を褒めること。この題がすんなり出てきた。
とはいうものの、依然、私は布団から出ることをしない。インゲン豆のこと、
それに、息子のことを気にしながら。
(2017.9. - 稲畑に 黒のカラスと 彼岸花 - 伸司)
2013.4.21
山原に苔の緑と土の黒 まだつつましくカタクリの紅
(4.20 - 赤坂山へ with O,H,K,…)
この前の土曜日、老(3)若男女(2)まぜて12人でサイクリングしてきました。紀ノ川沿いに奈良県の五条まで行き、その後は高野山までの長い登り坂。途中、評判の「とんかつ屋」と「アイスクリーム店」に寄ったりして(62歳のリーダーはブログにもはまっています)、帰りは山中を、時には疾走したりで、「若者」してきました。走行距離は173km。「あー疲れた」の一日でした。
高野めざし 山踏むチームの脹脛 したたる汗よ 鈍苦も流せ
18日(土)、岐阜に泊めてもらうよう、勝手に予定してます。
それと、孝三、輪行バック持ってましたか?持っていたら貸してください。25日~26日には「磐梯山サイクリング」に行きます。遊んでばかりですみません。
(2013.5.7「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.5.28
蔵王の山遠くそびえてペダルこぐ 歌わん!宇宙を!「あーあ蔵王の山」
天へ漕ぐ 案内はカッコー端の花 錆にじむ山肌 果てに浄土平
夏秋冬春と来て誕生日 そしてまたつぎの新しい夏を歩む
2013.6.2
旧き時には 旧き言葉で歌う
今の時には 今の言葉で歌う
我、今と切り離されたる 伝統とは無縁なり
夜もすがら床にうつらと歌浮かべ 朝走りながらに歌推敲す
和歌山のお母さんが、この1ヶ月ほど、阪南の家の近くのリハビリテーション病院に入院していて、つい先日退院しました。そんなこともあって、法事には私1人だけおじゃますることになります。8日の土曜日に電車でゆっくりそちらに向かいます。よろしくお願いします。
法事あり 電車の中にひとり旅 ふる里を想う 家族をおもう
(漢字発見)
哀しさによこいちぼうで衰えししぜんはしたたか蓑むしをうむ
(2013.6.2「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.6.13
うぐいすのゴークロウサンと初夏のラン
2013.6.17
海鳥が聞き手となりて空に歌う
ゴーヤ、ゴーヤ つるのばせ
朝顔、朝顔 つるのばせ
いんげん豆は 実をつけた
トマトはまんだ 苗のまま
(2013.6.24「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.7.30
夏の空ガマンのあとの命雨
2013.8.24 - 泉南混声合唱団へ自己紹介文
1. バリトン 炭鎌伸司
2. 岐阜で生まれ育ち、就職で大阪に来ました。阪南市で生活し始めてもう30年になります。
3. 退職後週3日行っている夜のバイトがちょうど水曜日抜けたので、
嫁さんに勧められたこともあり、歌うことが好きで入団しました。
4. 合唱に関してはズブズブの素人で、楽譜よりも勘を頼り(?)に歌っています。
特に、周りの方々には迷惑をおかけしているとは思いますが、ご指導よろしくお願いします。
コーラスよ余生にちょっと春うらら
5. あさ犬と散歩したあと5Kほど走るのを日課にしています。
週に2回ほどプールに行きます。
1,2ケ月に1回ほどチームの仲間と高野山方面へサイクリングに出かけたりします。
この5月には磐梯山へサイクリング旅行に行きました。蔵王も見えました。
残雪の蔵王に迎いペダルこぐ
ということで、趣味はトライアスロンということになるでしょうか。
70才までは大会に出続けることが、今のささやかな目標です。
6. I like singing.
I love music and peace.
2013.8.30
さあ出番 エノコログサが道に揺れ
2013.8.31
マツムシがセミに代わろと残暑の夕
2013.9.7
白露とやツクツクボウシとキリギリス
2013.9.15
夏過ぎても キリギリスに負けじ ツクツク坊
2013.9.18
緑野にちらほら赤く彼岸花
2013.9.25
オヤジの夢を見た 通知表を見せてくれた
9と7が目立った 数学は9だった
2013.9.26
彼岸花 たしかに今日は
(昨日の速さ 明日に望めず)
2013.9.29
黄金の田んぼを歌う虫の鈴
2013.10.2
色あせて 彼岸花ふたつ 寄り添いし
きのうあり 彼岸花なくて 色もなし
2013.10.16
道すがらトライアスロンを傍に置き 泳いで漕いで走る そろりと
おやじと野球とオレと
ピッチャー千道くん
ランナー2塁
ノーストライク、スリーボール
投げました
ピッチャーとってファーストへ
試合終了
不甲斐ない息子におやじは言う
「見送るのが当たり前やろ」
でもオレは打ちたかった
あの千道くんの球を
カットバシたかった
まっ直ぐ、ど真ん中の球がくるのが当たり前だったから
おやじの夢はまた少し しぼんだ
お姉ちゃんの笑い声
とぎれとぎれのオルゴール
残していった
お嫁入りの日
(2013.10.18 - 伸司)
奥飛騨めぐり、楽しく過ごさせてもらいました。とりあえず、カメラで写した画像、全て送ります。あとは、報告編集長にお任せします。
(追、駄作)
湯煙と霧に濡れたり秋の山 白き流れも心踊らす
秘湯に浸かり秋に囲まれ天から雫
秋の宿よつば集いて何を語らん
晴れ渡り色鮮やかな樹々に水面 雨夜の語らいを優しく包む
えも言えぬ自然を前に絵筆採りたし 我に腕なし 心に描こか
(2013.10.22「よつば会」宛メール - 伸司)
2013.10.24
鳥たちが美声を競う秋の街
2013.12.2
ほの暗き街燈に誘われノスタルジア 枯葉踏む音 か弱き虫の音
2013.12.3
笹の葉に集う朝露ところどころ 光り輝き在ることを歌う
2013.12.7 - 朝の隣人 (番外二)
山から駆ける若者あり
おー 速い
しばらくして
山に向かう いつもの人と出会う
吐く息と一緒に 小声であいさつを交わす
お互い頑張りますねぇ
2013.12.10
玄関は 濡れた紅葉のタイル張り
2013.12.13
かれ葉カラカラかけてゆく
ひとつふたつとかけてゆく
こがらしおいかけかけてゆく
かれ葉カラゴソかけてゆく
ここのつとうおとかけてゆく
あそこのかどまでかけてゆこ
かれ葉ゴソゴソかけてゆくいっぱいいっぱいかけてゆく
あそこについたら おしくらまんじゅう
2013.12.14
目にした ちょとしたことで
歌を思う 詩を思う
心にひっついた ちっぽけなことを
歌に想う 詩に想う
夢の中で
歌を浮かべる 詩を浮かべる
走りながらに酔う
歌に酔う 詩に酔う
2013.12.18
あの家のイルミネーションも少なくなりき あの子らも大きくなりて
2014.1.1
元旦や 車あふれる老いの街
2014.1.10
寒風に 5拍子ランを 心して
幸子さん、体たいせつにしてください。
私ども、この年越しは何年ぶりかに、家族4人の水入らずで過ごしました。
わたくし今、少しの不安とだいぶんのわくわく感が現在進行形です。3月の終わりにある妻たちの「還暦コンサート」に、妻のピアノ伴奏で歌うことになっているのです。早春賦、赤いサラファン、千の風になって、の3曲を。悲惨な過去形にならないよう、主に夜のバイトの道中、車の中で練習に励んでおります。
4月、皆さんに会えるのを楽しみにしています。
寒風に 5拍子ランを 心して
(5拍子ランとは、孝三に伝授してもらった走法のこと)
ほの暗き街燈に誘われノスタルジア 枯葉踏む音 か弱き虫の音
(2014.1.15「よつば会」宛メール - 伸司)
2014.2.8
雪世界 クマにとっての 夢世界
2014.2.14
白宇宙 玉田の鳥らも楽し気に
降りしきる 黒きワンコも 白く染め
2014.2.15
雪だるま こは何者ぞと 黒ワンコ
2014.2.21
2014.3.1
ホーホケキョ 朝の散歩に厚着を嗤う
2014.3.4
心せよ!
成功は「驕り」を育て
失敗は「謙虚さ」を育む
2014.3.5
物理基礎定数(実験定数)―
たとえば「光速c= 29.9792458…万km/s」などは
その時代の実験精度によって、変化するものなのだろう。
その変化による影響はどうなのだろう。
人間社会に重大な影響をもたらすことにはならないのだろうか?
宝くじ ―
「買う人」はなぜ買うのか?
「買わない人」はなぜ買わないのか?
だれが「宝くじ」を「何のために」して、その「利益」は何に使われているのか?
たかが「宝くじ」― そこには
哲学があり、数学があり、経済があり、政治があり、・・・
諸々のものが隠れているように思われる。
2014.3.25 - 3.23mini concertを終えて
花を愛す妻に抱かれて鳥になれ! まだ来ぬ君に春を歌わん!
みなさん、お元気ですか。
前の日曜日には、妻たちの還暦ミニコンサートがあり、歌わせてもらいました。聴衆は30人ほどでした。ちょっと足がガタつきましたが何とかなりました。「楽しみにしている」と言っていた悠が、私の出番が終わってから来たのが、残念でしたが。
法事には2人と1匹で前日に行く予定でいます。勝手しますがよろしくお願いします。
花を愛す妻に抱かれて鳥になれ! まだ来ぬ君に春を歌わん!
(2014.3.26「よつば会」宛メール - 伸司)
2014.4.1 - 悠のライブにいって - 心付け(メモ)
混沌 ←→ つかのまの秩序
雑音 ←→ つかのまのリズム
不快 ←→ つかのまの快感
無関心 → 引っかかり → 感心 → 激心
漠然の中に虫の音、鳥のさえずり、訳のわからない人の声、ニュース、・・・
(3.30 悠のライブ、そのあと大介をさそい2人で夕食 - 伸司)
2014.4.17 - 朝の隣人(番外四)
「すごい体力ですね」
四十代半ばらしき人に声をかけられた
「ここまで上がってくるの大変でしょう」
ありがとう。そういう言葉が私を奮い立たせる
まだまだ頑張ろうと思う
今日は止めてこかなと思ったりもしたけど
「旅便り」のお礼の返事、たいへん遅くなってしまいました。昼神の桜きれいでしたね。紅葉の季節の東北にもぜひ行ってみたいですね。
孝三から借りた「ボノボの本」、たいへん興味深く読みました。孝三からの質問「二人の仲が・・・」とか、美智子さんの話にあった「卒婚」とかにも何か通ずるものがあるようにも思いました。今その本は悠の手元にあります。どこかの首相に読んでもらいたいですね。
子孫を残すための生あるものの営み、
その長い歴史の中に、ほんの一時か、存在する人類。
進化の過程で「意識」が備わり、
愛、平和などの思想も生まれてきたのだと思う。
こういうのを大切にしていきたいですね。
トライアスロン、珠洲と長良川を予定してます。どちらも51.5kタイプです。
合唱は楽しいです。
(2014.5.30「よつば会」宛メール - 伸司)
2014.6.2
土に舞う幾多の蝶が案内人
2014.6.30
ゆるやかな向上心
2014.9.12
うぐいすの 歌ある谷に心舞う
2014.9.16
うぐいすの 歌ある谷に(オタマ)ジャクシ舞う
2014.9.24
刈畑に こうろぎの歌 かくれんぼ
戸隠への旅の計画、ありがとうございます。
きのう、磐田でトライアスロンしてきました。無事完走もでき、今シーズンの締めができました。これからは合唱、歌です。まず、千枝さん仲間の身内によるコンサートが10月の終わりにあります。私も前回に引き続き出させてもらいます。「もしもピアノが弾けたなら」と「島唄」を歌うつもりで練習に励んでおります。男声唯一の歌唱ということで少し気負っています。
刈畑に こうろぎの歌 かくれんぼ
19日に、みなさんに会えるのを楽しみにしています。
(2014.9.29「よつば会」宛メール - 伸司)
2014.10.3
ここにおることの不思議を思う
前に広がる自然がここにあることの不思議を思う
ある時、ここから無くなることの不思議を思う
みなさん、お元気ですか。
お礼が遅くなりました。「旅便り」ありがとうございます。いつも楽しみに見させてもらってます。すばらしかったことも、すぐに頭から消えかけてしまう私にとって「便り」は貴重な宝物になっています。
よつば会 いつまでもいつまでも 青秋の日々
10月終りの日曜日に、内輪のミニコンサートで歌いました。妻の伴奏のおかげで「まあまあ」終えることが出来ました。
泉南市混声合唱団の年1回発行の広報誌に載った文を、「迷惑かな」とは思いつつ発表させてもらいます。
歌と私と合唱と
「歌は心」とは言われる。
小さい頃から、歌うことは好きで、「うるさい!」と言われながらも、心どころか意味もわからず、家の中で大きな声で歌っていた。音楽の時間は歌があるから好きだった。そういえば、小学校から高校までの教科書で残してあるのは音楽だけだ。大人になってからも、特に車の中ではよく歌った。
ところがある時期からあまり歌わなくなった。心にしっくりくる歌が見つからなかったこともある。それと、こちらの方が重要だが、調子はずれの音が妻の耳から入り脳を経由して顔面に表れるものに尻込みしたことによる、ように思う。教科書も楽譜というより歌集としてしかなかった私とは違い、妻には少しばかりでも音楽の道があった。
とはいえ、萎縮しながらも「歌は心だ」と自分に言い聞かせながら、しょぼしょぼと歌うことは続けていた。そういう中で、年を経て妻の心も丸くなったのか、退職して暇そうにしているのを見兼ねたのか、「合唱してみたら」のお許しの声がかかった。うーん、躊躇もあったけれど、なにしろ好きな歌が大声で歌える。入団することになった次第です。
けれども、階名読みも苦手で、楽譜を見てもお玉じゃくしの大雑把な上下動しか目に入らない私にとって、「半音低い、高い」の世界はやっぱり新世界。
「歌は心」には違いないが、自分の心だけでは成り立たないのが合唱なのだ。作詞者の心に近づくとともに、それを感じとった作曲者の思いを大切にするためにも、譜面とまじめに格闘せねばと思う今日この頃。
合唱への思い入れあふれる熱心な指導と、どんな曲にも対応できる瑞々しい伴奏と、人生の先輩方の温かい歌声に出会えたことを幸せに感じつつ、歌から合唱への楽しさを味わえるよう少しは努力しようと、初めての演奏会に参加し終えた今、思っております。
刈畑に こおろぎの歌 かくれんぼ
(2014.11.6「よつば会」宛メール - 伸司)
2014.11.29
もみじ葉の濡れた絨毯 足に優し 目に嬉し
最近、トレーニング帳に書いたメモから。
哲学は、普遍性について考え、語ることに意義がある。
普遍性とは、人類に進化の過程で備わる「次へのあるべき方向性」
のように思う。
Java3D に手を出しかけた所です。static ハッキリわかってません。Vector の便利さ、やっかいさに出合った所です。
(2014.12.17 メール - 伸司)
2014.12.31
てくてくと いつもの道の四季をいく 膝の痛みと語らいながら
ホケキョが聞こえはじめました
梅の花が目に届きます
桜の花はまだのようです
みなさん、お元気ですか。
私、この1月から「カンツォーネを歌おう」のカルチャーに、月2回ですが、行っております。厳しい指導にたじろぐこともありますが、80%楽しく続けております。
カルチャーで川柳を募集していたので作ってみました。応募はしていません。
カルチャーは 「ほめてのばす」が モットーです
身に浸みる ティーチャーの苦心 ほめことば
春のよつば会、楽しみにしています。前日、岐阜に寄せていただきます。
(2015.3.24「よつば会」宛メール - 伸司)
2015.3.30
湿る道 おっと見上げた 桜かな
にわとりの 春のあいさつに出会いたくて 我が犬はまた この道を選ぶ
春を呼ぶ 同じ服着た おんな子2つ
あと5年はと思いながら、6月14日の木曽三川トライアスロンを申し込んでしまいました。また岐阜におじゃまします。
(2015.3.31「よつば会」宛メール - 伸司)
2015.4.4
すずめ十羽 庭から桜へ蓑隠れ
2015.4.14
コケコッコー カケッコカケッコ 雨のぼる 見つめるクマはひとりぽっちか
つばめ舞う 我が家の軒に 巣はなけれど
コケコッコー カケッコカケッコ 雨のぼる
道ばたに 目立たぬけれど 踊り子草
週に2回ほどプールに行ってます。最近のメニューは次の通り。
・アップ100m - プルブイをつけて、ゆっくり
初めの50mは4ストローク1ブレス、後は2スト1ブレ
・ロング1500m - もちろんブイはなし
50mごとに左右の腕の伸びを意識して
・キック25m×4 - ビート板なしで、途中息継ぎのため2回ほど3ぽ歩く
ストリームライン、足首の柔軟、股を開かないことを意識して
・ダッシュ25m×12 - ちょっとがんばる
「前へ」を意識し、できるだけ少ないストローク数で
・プル300m - プルブイをつけて、ちょっとがんばる
50mごとに左、右、両の腕の伸びを意識して
・ダウン200m - できるだけゆっくり
ターンの後などに平泳ぎも混ぜて
以上、トータル2500m。
区切りの合間に、ウォーキングを入れてます。
みなさん、マイペースで行きましょう。何事も。
(2015.4.15「よつば会」宛メール - 伸司)
2015.4.16 - 朝の隣人 (番外六)
いつもの人と今日も黙ってすれちがう
そのすぐ後
「おはよう!」と
どこからか、元気な、温かい声がする
俺に言ったのか、いつもの人に言ったのか、
二人に言ったのか、
そうだ、みんなに言ったのだ
2015.4.24
春の青に二等辺高く鳥らゆく
今回も「旅便り」楽しみに、見させてもらいました。
新しき墓の前にて父母を想う 唯物観へ我を育てし
幾つものトネルの果てに春の浜 雨宿りのよつ葉に御馳走さん
きのうは妻たち仲間うちのミニコンサートがありました。私も歌わせてもらいました。自己採点78点。
使い古した足に元気を押し付けながら走っていると
おっ、彼女が来た
俺も彼女のようにカッコよく走って行き過ぎよう
つかの間の青春を感じながら
(2015.4.27「よつば会」宛メール - 伸司)
2015.4.28 - 4.26音遊会を終えて
風呂場より 春コン終えて 秋の歌
2015.5. -『舟を編む』より
・・・言葉の重要性に気づきました。・・・記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。
・・・死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。
2015.5.18 - 鷲田清一『折々のことば』47
人の存在とは、現実には、社会的な諸関係の
カール・マルクス
自分というものを、その意識からではなく、さまざまの歴史的な関係の交差点としてとらえること。インタレスト(関心)という語はラテン語のインテル・エッセに由来する。つまり何かの「あいだにある」ということ。私の存在そのものが一つの社会問題なのだというふうに、ひとは自己への関心を広げてゆく必要がある。「フォイエルバッハに関する11のテーゼ」から。
2015.6.1
山道の湿った地図に蝶の群
ダンプ行き 地べたに茶色の蝶が舞う
木漏れ日に ああ聞き惚れん鳥の歌
みなさんお元気ですか。トライアスロンのため、また岐阜へ、おじゃまします。競技前日にプールへ行けたらと思っています。
先日、何年ぶりかに、こういう集会に行ってきました。阪南市9条の会「おはなしと音楽のつどい」に、ふらっと。予想外に大勢いてました。私を含め、年寄りが多かったですが。
弱き者の言葉
地球表面の至る所で
強き者が弱き者を抑圧・殺戮するのを見る
弱き者の悲鳴が聞こえる
弱きものは憎しみをつのらせ
強き者に変わらんと欲する
弱き者よ、言葉を手放すな!
強き者よ、武器をすてて弱き者とならん
弱き者よ!
言葉を手放すな!
地球表面に進化が織りなされ
弱き者に備わった言葉を
(2015.6.7「よつば会」宛メール - 伸司)
みなさん、お元気ですか。
最近、
クマと散歩して、6キロほど走って、おそい朝食をした後、
日課で、
ボイストレーニング・歌を1,2時間ほどしています。
近所(含む妻)迷惑を考慮して、
小部屋で、窓を閉め切り、パソコンの指導のもと、
大声を出しています。
小さい頃も、狭いながらも・・・で、よく歌っていたことを
思い出したりして。
あす、岐阜へおじゃまします。
(2015.10.14「よつば会」宛メール - 伸司)
王ヶ頭の旅のごちそう、ありがとうございました。
記憶に残すためにも、駄作1つと2つ書き留めました。
人乞うも 曇天に浸かる王ヶ頭 悟りの果てに ブロッケン2つ
美ヶ原 枯れたる糞に 牛の影 (我らも一筋づつ影を印さん)
安倍政治 我が物顔の戦闘機 爆音にも慣れよと 里の秋突く
(2015.10.19「よつば会」宛メール - 伸司)
ちょっとおくれましたが、72歳の誕生日おめでとうございます。
私も、まだ6年ありますが、72歳には何かこだはりをずーと感じています。
昔、父親は故郷を離れて暮らす息子に
革靴を贈った
昔、兄は故郷にいる弟たちに
本とエックスパンダ―と日記帳を贈った
今も、残された心には刻まれている
本とエックスパンダ―と日記帳
それと新品の革靴
(2015.11.4「よつば会」宛メール - 伸司)
2015.11.11
山の奥で
木立に囲まれて歌った
「からたちの花」を歌った
大きな声で歌った
まだうまくは歌えなかった
小鳥は上手に歌っている
小川も快く流れている
山の奥で歌った
大きな声を出して歌った
2015.11.25 - 歴史
長い 長い 人の歴史
思い描く理想の歴史
なかなか前に進まない
長い 長ーい歴史
俺の歴史
ほんの少し灯って
消える
2015.11.27 - マイナンバー届く
数字見て 家族も他人と思い知る
2015.12. - 伊高浩昭『沖縄アイデンティティー』より
人間のもつ最高の迫力である誠実さを無限にもつ浦崎に、私は圧倒された。
2016.1.1
元旦だからといって いつもと違う朝がくるわけでもない
クマと散歩して 6K走って
食事をすませた後 声を出して 歌う
いや、違うことがあった
妻の雑煮を食べた 息子と一緒に食べた
2016.1.
不本意ながら ザラザラのアスファルトの地面と格闘した
コラ! 仕切弁とかいう蓋、お前のせいだ!
2016.1.27 - 塾で教えたNさんより
1年間という短い間でしたが、お世話になりました。めっちゃ分かりやすかったし、数学きらいだったから助かったょ!! 今回、家の都合で止めてしまうけど、今みたいに元気で頑張ってネ!! さみしいです(笑) 気さくで優しいいい先生に教えてもらって良かった!! あと、白浜のお土産と北海道のお土産です(笑) 1年間ありがとう。また何かのときはよろしく!
春まだか! やんなるほどに寒き道
みなさん、おかわりありませんか。私どもの方は、何も変わったこともなく、一日一日を過ごしております。岐阜では大きな変化がありましたね。愛ちゃんのこと聞けること、楽しみにしています。明日の晩からまた、よろしくお願いします。
きょうの雲 千切れ綿 いくつも
青空に遠慮して 地上に近く 佇んでいる
(2016.2.17「よつば会」宛メール - 伸司)
2016.2.18
Oh春da玉田に凛とHoo-hokekyo!
旅にあり 幾度も見やるさすが富士 犬とある人の情にも触れて
柿田川 湧き出づる水の尊さよ
河津桜 人の小事も紅で覆わん
旅おえて いつもの道ゆき天を仰ぐ 青と白とに 長八の鏝跡
(2016.2.23「よつば会」宛メール - 伸司)
2016.2.28
春を香ぐ クマの散歩も のったりめ
歌を詠む 推敲重ねて辿り着かん 心にしっくり しかと言の葉
ギューゥと 固く絞ったトレパンを
風呂場の棒に 引っ掛ける
しばらくすると
トン、ポトン、トトン・・・
滴の音がする
滴が下に置いた桶と 音楽をする
引力のすごさを思う
地球の存在を思い知る
滴が桶にぶつかって生ずる波、空間の揺れを思う
それを受け取る 生物の不思議を思う
それを音楽とする 人間のやっかいさを感じる
2016.2.29
君とゆく 君が教えん道はたに つつましく色香う姫踊子草
2016.3.8
古屋根にすっくと立ちぬ白鷺や 水音を残し 天空へ舞う
2016.3.31 - 音羽池にて
白鷺や 緑の池に影走る
鴨ふたつ 緑の池に松葉模様
つつましく ところどころに群れをなす 名もうれしくて 姫踊り子草
2016.4.5 - 鳥取ダムにて
山桜 緑の湖面にクレパス冴えて
2016.4.24
音羽池 緑の水面にみどり映え
2016.4.29
ランニング中、イノシシに出会った
メガネをかけていなかったので、ぼんやりとしかわからなかったけど
まだら模様がまだ残る、かわいらしいイノシシ
小さなキバも持っていたようだ 少年か少女のイノシシ
夜中のエサ探しで疲れて、まだ眠っている親から離れて
ひとり立ちの冒険にやってきたのだろうか
親が掘り起こした跡だろう やわらかな土をほりおこしていた
イノシシに出会った びっくりした
幼いイノシシは もっとびっくりしただろう
やっかいな人間なんかがせまってきて ごめんな!
いつもの折り返しまでは まだちょっとあるけど
この大切な地点で 今日は折り返すことにしよう
2016.5.4
へびにでくわした びっくりした こみちのまんなかで
とぐろをまいてじっとしていた うんこかともおもった
けどあれはへびだ あざやかないろだった
きっと あすはあそこにはないだろう
みなさん、お元気ですか。今年もトライアスロン、昨年と同様、4つに出る予定でいます。6月5日の木曽三川にも出るつもりでいますので、またお世話になります。前日の4日には、玉田山の清掃ボランティアと合唱の練習がありますので、ちょっと遅めになります。夕食は済ませての各務ヶ原到着となります。それと競技終了後ですが、今回は、久々に服部くんと会う段取りをしています。遅くまで(?)飲むと思うので、岐阜駅の近くで宿泊を確保しました。よろしくお願いします。
クマと朝、散歩する時
今日の季節を感ずる
クマと夜、散歩していると
無限の宇宙に解け込んでいくような
そんな気がする
(2016.5.21「よつば会」宛メール - 伸司)
2016.5.22
こけた ころがった 立った また 走った どこも痛くない
反射神経 運動神経 まだ 満更でもない
…「もだえ神さま」…石牟礼道子(2016.5.25朝日新聞より)
人間には、寿命と同じように限りがあります。人類と言って思い上がらず、生類の一環と思って自然に学び、後の代に伝えていくしかありません。
2016.5.26
YHさんの奥さんが来てくれた。参院選のビラ配布のことで。「安倍政治はいかん」の思いで動いておられるのだ。「Yさんの遺志」を継いで。俺も少しはあやかろう! 何よりも久しぶりにお会いできたことが嬉しかった。こちらから行くべきところを。
2016.5.29 - 住民センターで「みどり会」
みどり会で歌った
妻の伴奏で みなさんのリードマンとして
しっかり歌えたと思う
気持ちよく歌えた
何よりも 妻に少しは認めてもらえたのかなと思えて
嬉しかった
2016.5.31 - 朝の隣人 四
湿った道を 茶色の蝶が びっしりと覆っている
俺はゆく
蝶はご機嫌に舞い上がり 俺に纏わり付いてくる
向こうから ストックをついたおじさんがやって来た
その人は 俺を
仙人と間違えはしないだろうか
幸子さん、今までご苦労様でした。
退職、おめでとうございます。
ちょっとの間はゆっくりしてください。
気分転換に、大阪の田舎へも来てみてください。
いつでも暇ですので、いつでも歓迎します。
また、7月の終わりにおじゃまします。
木漏れ日や うれしうかれて 初夏の舞
(2016.6.21「よつば会」宛メール - 伸司)
みなさんへ
7月3日(日)に阪南市民の合唱祭「七夕コンサート」があります。私も千枝も、違うグループで出演します。遠いですが、お暇であれば、期待せずに来てみてください。入場無料。
ちゃの道を ちゃの蝶が覆う 吾はゆく 蝶を従えて仙人となる
(2016.6.23「よつば会」宛メール - 伸司)
2016.6.24
最近、散歩している時、クマはよく立ち止まる
視線は、玉田山のまばらに立っている竹々の間にあったりする
音羽池の道端から見晴るかす海辺の上にあったりする
生まれてすぐに売りに出されたクマ
心の奥底に宿るお母さんの乳の匂いを探し求めているような
そんな目であるようにも思われる
2016.7.6
玉田にも夏だ どーだ と セミ参上!
2016.7.18
道を漁るクマの鼻にはセミの香
木漏れ日や 穴から顔出すアリひとつ
先週の木曜日、クマはマムシに噛まれた
主の身代わりになったのでもない
道端の草叢に突然跳び込み
ちょとしてから、左前足をブラんとさせて出てきた
骨折でもしたのかと思った
大変だった
今はもう大分よくなった
今朝、外へ行きたそうだったので
久々に散歩へ連れてやった
草叢には入らないようにした
(2016.7.25「よつば会」宛メール - 伸司)
伊良湖、完走おめでとうございます。お互い、まだ来年もいけそうです、か。
昨日は、声楽発表会でした。最初、かすれた声が出て慌てました。今度の水曜日は、朗読発表会です。
言葉についての最近のメモから。
・・・心は、いつも二つの糧を求めている。一つは他者から投げかけられる言葉、もう一つは自らの内面から湧き上がる自分自身の言葉である。内なる言葉は、最初、いわゆる言葉の姿をしていない。・・・無形の言葉、これをここでは「コトバ」と・・・書く・・・。コトバは、さまざまな姿でこの世に存在している。・・・コトバを言葉にすること、それが想う、あるいは書くということだ。・・・
--- 詩人の誕生(若松英輔)---
『悲しみが・・・』をザッーと読んで ---
コトバを言葉に宿すこと、それが詩人の役割。誰もが詩人になれる。
では、科学をする者の役割は、
「自然に存在する無数のコトバをほんの少しでも言葉に宿すこと」
と言えないか。
人生と生活、真実と事実、・・・コトバと言葉か。
今日の雲もやはりいい
青いキャンバスに描かれる天の芸術
私の言葉なんか木っ端微塵
今日の雲は また いい
宮沢賢治の言葉たち
何気なさそうな言葉たちに賢治が溢れる
何気なくはない賢治が溢れる
(発表会では賢治の詩を朗読します)
(2016.9.18 メール - 伸司)
2016.9.25
小待宵 緑の
曼珠沙華 緑の宙に直立不動
露草は 緑の宙に何気なく
2016.9.30
もはや
何の為にもならないのに
誰の役にも立たないのに
今在る自然が少しでも知りたくて
本棚の隅っこに隠れて在る
息子の残こしていった 物理の教科書を開く
娘が使っていた チビた鉛筆を持って
2016.10.22
音信なし それは証拠 力強き証拠
生きよ 力強く生きればいい
時には弱音を吐くもいい
2016.10.25
夢を見た 息子と出会った
「ハガキ見たか?」と声をかけた
今思うとまたもや自己中心的な言葉をかけていた
「おう」とそれらしく返事した
すれちがった
2017.1.2
折り返しで
フッーと息をつく
顔を上に傾ける
おお、なんと!
月と星
鮮やかに輝けり輝けり
一つの三日月輝けり
その切っ先に
一つの星輝けり
ああ、輝けり輝けり
妻が(未だどう呼んでいいか定まりません)「お兄さんからメール来てるよ」と言って、読み上げてくれました。「おう、おう」、「ぷふっ」と聞かせてもらいました。途中、外に聞こえた音に反応して、駄作を一つ。
今夜また 老人の街に 救急車
この金曜日には、朗読カルチャーの「初読み会」がありました。ティーチャー含めて9名の参加。うち私が黒一点。年取ったせいか、そんな事あまり気にならなくなりました。井伏鱒二の「山椒魚」を披露しました。
(2017.1.16「よつば会」宛メール - 伸司)
2017.2.10
クマと散歩
大粒のボタン雪が降りしきる
白クマになりそう
今はブチブチだけれど
ブルブルと
柴ドリル
もとのクマに戻った
2017.3.10
きょうは昼、走ろう
あたたかそうな日差しを浴びて走ろう
ちょっと長めにゆっくり走ろう
春を感じながら走ろう
2017.4.5
黒緑の水面に煙る山桜
生ぬるる山気に凛とホーホケキョ
みなさん、お元気ですか。私、2週間ほど風邪をひいたりしてましたが、今は元気です。
泳ぎの方、プールで一緒になる82才の人に手厚いコーチをしていただき、最近、一皮むけたような気にもなっております。
トライアスロンの方、6月4日木曽三川と7月30日長良川にエントリーしました。8月27日珠洲も予定してます。野尻湖、伊良湖はコーラス等の行事と重なり、残念ながら行けそうにありません。
5月の連休明けには、朗読の先生たちと4人ほどでボランティアに行ってきます。訪問先は和歌山の老人ホームということ。年の違わない人たちを相手に、さてどんなのを読もうか、思案しております。
次回よつば会も楽しみにしています。
(2017.4.11「よつば会」宛メール - 伸司)
2017.4.12
ゲタバコニ スックトイケル スイセンカ
老木に何故か妖しく桜花
2017.5.5 - 風呂
風呂場に入ってフタを開ける
悪臭が鼻を衝く
どろっと濁った薄緑色が目に入る
きのう何日ぶりかでお兄が帰って来た
お兄の汗
労働の匂いが鼻につく
労働の結晶が目に入る
2017.5.24
空、雲、森、畑、小屋、お墓、フェンス
そして
おじいさんと野良猫
2017.6.26
池に目やり 雨かなと思う
2017.7.19 - 大介へハガキ
ちょっと前に読んで気にいった本
勝手に送ります
暇でどうしようもない時
開いてみてください
そして いいなぁと感ずる所があったら
押しつけにならないよう
たいせつな人に・・・
どうぞ・・・
2017.8.26~27 - 孝三、幸子、千枝と珠洲で
2017.8.29 - 自然に還った孝三
こんな悲しみの中で
ペンをとることを
孝三は許してくれるだろう
悲しくて悲しくて仕方がない
俺よりももっと言葉少ななその口で
もう一度「伸司」と呼びかけてほしい
俺よりももっともっと優しいその顔で
「伸司」を送ってほしい
それが今は無いのが悲しい
これが死か
お袋の太った体を見て
親父がよく言っていた
「お前ら二人やけど
グランドが広かったから」と
他の人では味わえない
六十七年間をありがとう
何よりも、そんなに強くない俺が
へこたれそうになっても
「俺にはあいつがいる」というのは大きかったと思う
強くなく弱そうだったから
親父とお袋が二人にしてくれたのかな
過去を今に呼び戻そうとすると
悲しみが涙を誘う
自然に還った孝三は
いつまでもそんな所にとどまっているのを望まない
「涙はもういいから
過去を今に生かせ」と
俺に言う
孝三を知る人に孝三は伝わった
孝三はやるべき事はして
自然に還った
二人でまだしたい事があった
合宿がしたかった
朝起きたら、散歩に行く、走る、そしてシャワー、
食事の支度をしてゆっくり食べる、
声だし、歌をうたって、プログラミング、
水泳か、自転車をした後、湯につかる、
食事の支度をしてまた、ゆっくり食べる、
本を読み合い、疲れたら、音楽鑑賞をして、寝る
そんな合宿を何日か続けてしてみたかった
が、実際やってみたら
すぐにお互いやんなったかもしれない
今はこう思う
残り多くはない日々の中に
好きな時に、やりたい事を、無理せず
心の中の孝三と合宿をしようと
2017.9.
考える = 物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする
思う = 物事に対してある感情や意識を持つ
2017.9.7
へたりヘビ 犬も気づかぬ 道に秋
2017.9.18 -『スズメ』より
雀の涙 雀に毬 雀の千声鶴の一声 京雀 雀百まで踊り忘れず 欣喜雀躍 門前雀羅を張る
雀色 雀色時 雀時 すずめ医者(これから藪に向かう)
2017.9.23
稲畑に黒のカラスと彼岸花
2017.10.24
探し物をすることは、科学 = 唯物観に通ずる。
ある物に何物も作用することがなければ、ある物はそこに存在し続けるはず。
そこに存在しなければ、ある物にある作用が働いたはず。
神の力、心霊現象、等々を認めない。
僕にはひみつがある
歌の発表会 出番が迫ってくる
緊張がつのり 歌詞が出てこないのではないかと 不安が高まる
そんな時 僕は孝三を思う 孝三と一緒に歌おう
小さい頃 音楽の教科書をひろげ
孝三ちゃんと大きな声で歌ったことを思い出す
孝三ちゃんが好きだった歌は僕も好きだった
僕が歌う歌を孝三ちゃんも歌ってくれた
今日も歌おう 孝三と一緒に
雑念は振り払われ 歌うことの好きなふたりになる
それが僕のひみつ
(2017.10.29『音遊会』が終わって - 伸司)
2018.1. -『その犬の歩むところ』より
ヒューズを救えなかったという思いはずっと彼につきまとっていた。真偽の定かではない心の過ちに対処する方法はただひとつしかなく、それは人間の限界、人間の真の広がりを明示する限界線を越えている。自分はすべてではなく、すべての一部であることを理解すること。それは結果を求める人間の限界と折り合いをつけ、しかも結果と一体になれることを意味する。人の人生すべてに射す影がある。人は愛する者を抱きしめるようにその影を抱きしめなければならない。そうした影、そうした過ち、そうした限界こそ人間の能力の指針であり、それらを受け入れれば、それらは人を常に広がりつづける存在へと導く。このことを理解すべきだ。
Giv - The Story of a Dog and America - Boston Terau - 田口俊樹 訳
一、二年ほど前からだと思う
今年もやっぱりこの時期になって この花に出会う
クマと朝の散歩のとき クマがウンチとかシッコとか
臭い付けとかで立ち寄るその空き地で この花に出会う
その空き地の入り口に すでに咲き揃っている水仙の黄いの横に
つぎは「ぼくらの出番」と歌ってる
その花びらの黄いと葉っぱの緑に いつも目を奪われる
造花と見紛うほどに厚っぽく艶々している
花のことなら妻に聞こう
「それはリュウキンカ うちの庭にも咲いてるよ」
リュウってあの龍かな キンは金 カは花だろう
さっそく妻は電子辞書を引く
「リュウは立つ あとはその通り」
なあるほど
「リュウは流れと書くこともある 川辺に咲くことも多いから」
妻は自らの花辞書をまた少し厚くした
夕方クマと散歩した クマは朝とは違うコースを選ぶことが多い
あっ ここにもリュウキンカ
そういえば去年もここにたくさん咲いていた
(2018.3.20.伸司)
この道も 散歩コースのうちで ワンちのお気に入りの1つだった
ところがいつからか避けるようになった
そうだ あの2匹の あいつらのせいだ ちっこい白とでっかい黒
それまでなかった2つの小屋 ちっこいのとでっかいの
新しい小屋が気にはなったけど お気に入りの道
ご機嫌に通り過ぎようとしたとき
突然 でっかい声して 黒と白が叫びかかってきた
「ここはわしらの土地じゃ 何しに来たんじゃ」とばかりに
びっくりした 正直ビビった
それ以来 近くを通るたび 気にはなっていたけど
黒と白がいるのを横目で見ながら避けて通り過ぎた
今日も 玉田山の笹原の上をちょっと歩き回った
ここからは あのお気に入りの道が眼下に望める
おっ でっかい小屋とちっこい小屋はやっぱりあるけど
でっかい黒とちっこい白は見当たらない
「よぉし 今日は行くぞ このお気に入りの道を」
気が進まなさそうなおっさんの気配がリードから伝わってくるけど
なんのその お気に入りの道を行って何が悪い とっとっと
やったー!
ワワワワーン 黒と白のワワワーン 後の祭りのワワワーン
ワンちのお気に入りの道 やったね!
(2018.3.21.伸司)
「おはようございます」
「おはようございます」
その人と挨拶を交わすようになって久しい
その人はよくお墓の方を見ていた
誰かのお墓があったのだろうか いや
その視線はもっと向こうの方にあったのかもしれない
お墓の奥にこんもりとある竹藪
竹藪の上にぽっかりと浮かぶ雲
いつ頃からか その人の横に猫を見かけるようになった
いつ頃からか 餌をやっているのを見かけるようになった
いつ頃からか ニ三匹の満足そうな猫を見かけるようになった
いつ頃からか 幸せそうなその人を見かけるようになった
いつ頃からか その人と挨拶を交わすようになった
(2018.3.22.伸司)
2018.3.25
ホォケチー まだまだですね山の歌 カラスは偉そにアァーアーアー
この人との付き合いは長い
今日の会話
「おはようございます」
「わぁ 誰かと思った
後ろから迫って来て 早く抜いてくれればいいのにと 思っていたんです」
「今日は 上の方まで行って来たんです」
「桜 まだ咲いていましたぁ 散っていなかったですか」
「ちょっとだけ散っていたけど まだたくさん咲いていましたよ」
「私も行こうかと思ってたんですけどね」
「またコケました」
「大丈夫ですか あの辺 大きな石ころが多いですからね」
「大丈夫です 岩みたいな石がいっぱいですね
最近特に 左脚が上がらなくて よく躓きます」
「私なんか 両脚とも上がらないわ」
「またどこかの大会に出られるんですか」
「はい 今年も何とか完走できたので
目標がないと なかなか走る気にならないんで」
「んじゃまた」
「はぁい」
この人は畑もしている ランニングコースの途中に畑を持っている
だれかから譲り受けたのだろう 適当な大きさの畑で
いろんな野菜をしっかりと育てている
お孫さん 娘さんらしき人たちと その畑で
和んでおられるのを 幾度か見かけたこともある
この人との付き合いは長い
初めの頃はお互い まだまだ元気に走れていたように思う
ところが最近は やっぱりお互い 年には勝てないか
と言うより 年相応の走りになってきたと言いましょう
去年の秋 風邪などひいたりして 一ヶ月ほど走らなかった日が続いた
それから もう冬になっていたと思う 走り始めた
この人と出会ったら「風邪ひいていたんです」と言うつもりでいた
なかなか出会わない 何かあったのだろうか でも畑はしっかりしてある
もう走るの 止めたのだろうか 何かあったのだろうか
たまたま時間帯が合わないだけだろうか
あっ「おはようございます 久しぶりですねぇ」
「寒くてなかなか走る気にならなくて 今日は暖かくて気持ち良さそうだったから
やっぱり走って汗かくと 気分いいですね
ゆっくりでも ボチボチでも 続けていきます」
この人との付き合いは長い
この人との付き合いを これからも 細くても 長く
(2018.4.4.伸司)
いつか言っていた
「俺の葬式には ベートーヴェンを流してほしい」って
死んでしまった君のために ベートーヴェンを流そう
中学生のころ プレスを踏む僕らの後ろには ベートーヴェンがあった
大学受験に失敗した僕を 英雄になりそこねた僕を
君とベートーヴェンは大きくつつんでくれた
死んでしまった君のために
あの時 君を勇気づけた ベートーヴェンを流そう
しかし 死んでしまった君には ベートーヴェンは届かない
死んでしまった君を 奮い立たすことはない
今 僕は一人 ベートーヴェンを聴く
あふれる涙と 悔しさを抱いて
死んでしまった君のためにではなく
ただ あの頃を思い浮かべながら
悔しさを噛みしめて ベートーヴェンを聴く
(2018.4.19 - 伸司)
「よぉ頑張ってますなぁ」
軽やかに乗りこなす自転車からあるその声は
とうてい八十代とは思われない
こちらがマラソンの大会に出始めた頃
この人はすでによく走っていた
三田ハーフマラソンでも何度か一緒だった
そんなに年も変わらないと思っていた
前半はたいていこの人が先行していた
すり足気味で膝に負担をかけない走法が特徴だ
その後ろ姿を目にしたとき ライバル心を燃やし
ちょっと無理してでも抜き去ったことを思い出す
こちらが定年となり 朝のランニングを日課とし始めて
この田舎でよく出会うようになった
この人もよく走っていた
畑を耕している姿もよく見かけて 声をかけあった
近頃では 走る姿は見られず
ママチャリを繰る姿になった
とはいえ 半年ほど前に年齢を聞いてびっくりした
とうてい八十代とは思われない
十年後の我が身を想像する
こんなに若々しくいられるだろうか
(2018.6.5 - 伸司)
まず朗読、劇について。
朗読は、主に耳、聴覚に訴える。
劇は、それに加え、より多く目、視覚に訴える。
送り手の朗読は、言葉によって、受け手に物語る。
受け手は、それによって独自の物語、映像を創造する。
送り手の劇は、言葉に加え、動作によっても、受け手に物語る。
受け手は、それらの映像によって独自の物語を創造する。
さて朗読劇は。
動作が加わるにしても、やはり主体は言葉。
送り手の生きた言葉と少しの動作によって、
受け手は、映像をより膨らませ、独自の物語を創造する。
次に『ひなたぼっこ』について、ぽっちりだけ。
私、これを読むたびに、声を詰まらせる所、グーゥとくる所に出くわします。
送り手であるこの三人の朗読の中に、果たして、
受け手である皆さんを、グーゥとさせる所が出てくるでしょうか。
はじまり、はじまり。
(2018.6.6 - 伸司「7.28朗読会に向けて」)
晴居彗星 作、 ささめやゆき 画 (福音館書店)
おもしろかった。絵もいい。読みながら何度も声を詰まらせた。
1.お父さん、目覚める 2.お父さん、フンをする 3.お父さん、部下を泣かせる
4.お父さん、近所でうわさされる 5.お父さん、大いにあばれる 6.お父さん、閉じこめられる
7.お父さん、おばあちゃんと再会する 8.お父さん、体を洗われる 9.お父さん、田舎に帰る
全9節のうち、2節以外は妻の前で読んだ。一緒にその世界に浸った。
「お父さんが声を詰まらす所と私が感じ入る所とは違うよう」と妻。
そうかなあ。そうとも思わないけど。
「創作童話シリーズ、小学生中級から」とあり、読みやすくはあり、
目次を見るだけでもだいたいの筋は想像できそうだけれど、
なかなか読みごたえのある本でした。
(2018.6.6 - 伸司)
先週、尾瀬に行ってきました。健脚老人四人で。
今年は季節の動きが速いようで、水芭蕉の峠はすでに過ぎていたようです。
とはいえ、尾瀬には水芭蕉。
広大な湿原のいたる所に現れるその独特な姿は、尾瀬に在ることを思わせます。
それと、いやそれ以上に、黄色な花に心躍らせました。
リュウキンカ。つい最近にして名を覚えた花。
クマとの散歩で出会い、妻に教えてもらった花。
この辺のものとは少し違ったように見えても、
尾瀬に咲くこの黄色な花もリュウキンカ。
あと、三条ノ滝の爆水も見応えがありました。
わが町に立金花さく 尾瀬の野に今さまざまに流金花さく
健脚も苦労重ねて尾瀬の果て 天から爆水 三条ノ滝
国内線 母に手引かれて泣く幼子 父らしき人 影で手をふる
(2018.6.12「よつば会」宛メール - 伸司)
雨ん中を走った
ひさしを伝って滴が顔にかかる
濡れたTシャツが少し出始めた腹をかたどる
濡れたパンツが太ももにまとわりつく
濡れたシューズはいつもより足どりを重くする
でも気持ちいい
初夏の雨ん中を走った
いつもすれちがう人とも今日は出会わない
この田舎道をひとりじめ
田圃の中の一匹のサギがカッコいい
オーイと呼びかけてみる
サギはゆっくりと天を仰ぐ
オレを自然の中の一つと認めてくれたかのように
初夏の雨ん中を走った
台風の残した雨と風は
オレの体と心に
さわやかで気持ちいい
(2018.7.5 - 伸司)
2018.7.6 -『変身』(カフカ)を改めて読んでみて
『変身』を改めて読んでみた。『お父さん、牛になる』を読んだ後、『変身』でカフカはどんなことを言おうとしていたのかが気になったこともあり。
虫と牛との違いはあるけど、ともに朝起きたら「とんでもないものに変身」していたことから始まる。もちろん、晴居彗星の中にはすでに何らかの形で、これを題材にする前から、カフカの『変身』はあったのだろう。
語り手が「変身」した本人か、その息子かの違いもある。けど、それはあまり重要なこととは思はれない。変身した者への家族の対応。そこに重大な違いがあった。蛇足だが、共通点をあげればいろいろある。家族構成がよく似ている。一方は本人、父母、妹の4人家族。もう一方は本人、妻、姉弟の4人家族。途中から田舎の母親が参加するが。当然のことながら共に、働き頭が「変身」して動転する。世間体も気になる。
しかし、初めのうちはもちろん戸惑いはあったものの、「牛」に対する家族の扱いは「正当」であり、物語は「好ましい」方向で終える。その後どうなるかは謎ではあるが。少年、少女向けの読み物であることもあるのだろうが。
それに対して「虫」の方はどうか。本人からの視点ということもあるが、家族の扱いはより「リアル」で、時につらく切ない。果たして、そういった家族の思いも汲んでか、「虫」はやせ衰え死んでゆく。家族にとっても汚らわしいもののまま。
教科書的に言えば、「とんでもないものに変身」することはないにしても、それに近い状態になる可能性は誰にでもある。自分では感じていないだけで、すでにひょっとしてそうなっているのかもしれない。そんな時どうする。家族としてどうする。できれば「牛」のように扱っていただきたい。いや「虫」のように過ぎ去るのも一つの道。・・・・・
蛇足ついでにもう一つ付け加えると。『変身』が読み継がれている要因の一つを勝手に上げると。何気ない所に「社会の矛盾」をちりばめていることにもよるのではないかと思う。少なくとも偏屈な私はそう感じた。家族の借金を背に負い、妹のささやかな夢を叶えてやれればとの思いも秘め、辛いことには目をつむり、一心に働くサラリーマンの悲哀。20世紀初めのヨーロッパの矛盾は、その頃には想像もできなかった科学技術の発展があったにもかかわらず、この21世紀の日本には引き継がれたままだ。
2018.7.25 - なぜか大介へ
元気か!
来週から週2回、月、金と肉体労働をすることになりました。ゴミ収集車の助手。とりあえず、9月の末までの契約で。泉鳥で担任した萬ちゃんの紹介で。
あのクラスもなかなか印象深い。たいへんなクラスだった。今から思うと我ながらよくやってきたなと思うことが色々と思い浮かぶ。その中では萬ちゃんはまだ「まし」だった。人に対する「優しさ」を秘めていた。誰にでもあるのだろうけど、萬ちゃんにはそれを強く感じた。
もう何年前になるのだろう。愛犬と朝の散歩の時、両手にいくつものでっかいゴミ袋を持ち運ぶ姿を目にした。何回も目にした。「先生、いつか飲みに行こ。さそうわ」と声をかけてくれた。担当地域が変わったのだろう、それから、こちらが見かけることはなくなった。あっちからは車の中からこっちが走っているのを見かけることがあったよう。
一週間ほど前、突然家に来てくれた。「約束」をズーと気にかけていたようだ。飲む約束をした。家に招待してくれた。家庭でBBQ。もう51才になるという。泉鳥の同級生一人と後輩一人も参加。人選もなかなかいい。二人目だという奥さんは、お世辞抜きで可愛らしい。専門学校生の息子は途中ちょっとの間参加。奥さん似の高二の娘は途中から最後まで付き合ってくれた。
そのBBQで話が出た。あの頃のこと。今どうしてる。仕事のこと。体のこと。先生よく走ってる。仕事、やり手少ない、人手不足・・・・「先生やったらできる!」
この一言に動かされた。この先そんなに長くはないこの生活の中に、こういうのがあってもおもしろいのでは。このBBQの席で、もう一人の51才の卒業生がよく口にしていた言葉、「タイミング!良しにつけ悪しきにつけ、人生はタイミングや!」を思う。
小さい頃、坂本九の歌を孝三と歌っていたことを思い出す。
「テカテカテカ、ToYou。この世で一番かんじんなーのは、すてきなタイミング!」
朝 クマと散歩する
一日の季節を予感する
クマは生まれてすぐにここへ来た
それからもう12年ほどになる
人間の年齢に換算すると ちょうど主と同じ位になるらしい
けれども まだまだ元気
後ろ足を踏み外して 側溝に落ちかけたりもするが
速足で主を誘導するときの 臀部の動きは子気味いい
夕方 クマと散歩する
そういえば最近 主なぞ無視して 視線はどこにあるのか
所々で立ち尽くすことが多くなった
玉田山の竹藪の中とか 音羽池の土手の草叢とかで
12年前のお母さんの匂いを探しているのだろうか
(2018.9.23 秋の朗読会に寄せて - 伸司)
2018.10.16
孝三がいた
文を綴る時
いつも孝三がいた
今
文を綴る時
孝三がいる
今日はキミの誕生日
ケーキでも買って帰ろうか
花を好きなキミには 花を買って帰ろうか
やっぱりオレらしく
帰ってからクマと散歩して 野の花を摘んで贈ろう
2人の日々が始まった頃
オレはキミに花瓶とレコードを贈った
今よりももっと花のことを知らなかったオレは
でも歌が好きだった
ブラザーズフォーが好きだった
「七つの水仙」も好きだった
キミは65度目の誕生日を迎えた
オレももうすぐ69
I present to you. Now of Me.
to Sachiko from Kozo
I present to you. Now of Me in your Mind.
(2018.10.19 - 伸司)
2018.11.20
走っている時
ちょっと昔の自分を思いながら走っているようだ
走り終わって
風呂場の鏡を見る
おっ
これが確かに今の自分だ
今の自分に
ごくろうさん
『ゴミ収集という仕事』を読み終えて
こんな本があった
読み終えた
さてどうしよう
家に置いたままにしておくのも能がない
BookOffに持っていくのももったいない気がする
萬ちゃんに渡そうか
それとも茂さんに
後はどうなろうとかまわない
事務室の隅にズーと置いたままになろうと
収集車のBoxに入ってしまおうが
‥‥
茂さんに任せよう
飲料水を一番たくさんご馳走してもらったということで
迷惑かもしれないが
(2018.12.18 - 伸司)
歌について
歌は訴えることと、いつかどこかであった。
そうかなと思う。そうであるとも思う。
そのためにもハッキリと発生することが必要。語尾までシッカリと。腹筋を意識して。
fはもちろん、pであっても。
明るい歌はもちろん、さみしい、静かな歌であっても。
さて「訴える」とは誰に?
自分自身に、としたい。
一人で歌うことの多い私にとっては特に。
歌の意味(詩だけでなく譜面も含めて)を完全に理解して歌うことは少ない。
ほぼ理解しているとしても、完全に共感できる歌はほぼない。
自分が作ったものでないから当然だ。
そこでとりあえず声と共に訴える。作詞者と作曲者の衣を借りて。
今ある自分の歌える力で。そこに己を感動させるものを探りながら。
(2018.12 - 伸司)
朗読すること、「ほほえみ」かけること
「朗読」とは「詩歌・小説などをその情趣を伝えるように読み上げること」と
電子辞書にあります。
「ほほえみ」の一員として、私はこんな風に考えてみます。
ある作者が過去に残した「ほほえみ」――
そこには温かさもあれば、強い怒りがあるかもしれない、
深い悲しみが隠されているかもしれない
――その「ほほえみ」を今の私たち、朗読する者が受け止める。
そして、皆さん、聞く人に「ほほえみ」かける。
私たちは、作者の「ほほえみ」の意味を出来る限り探ろとする。
そして繰り返し、繰り返し「朗読」する。
力不足のため、その「ほほえみ」を十分捉えきれていないかもしれない。
そんな不安を感じながら、時には鏡を前にして「微笑んで」みたりもする
――自分の朗読を録音し聞いたりして「ぎこちなさ」を点検する。
月1回の勉強会では、その「ぎこちなさ」を厳しく指摘されたりもする。
そして、落ち込んだりもする。
そうこうしながら、作者の投げかけた「ほほえみ」を
なんとか自分のものとし、今日のこのような場で、
聴き手である皆さんに「ほほえみ」かける。
私たちの「ぎこちないほほえみ」は一瞬で消え去るかもしれません。
それでも私たち、朗読する者は満足です。
皆さんに「ほほえみ」かけることが出来た、ということで。
(2022.10.25 - ほほえみ発表会 - 伸司 - 8月記)
歌うことについて
うたう、うったう、うったえる。
歌は「訴えること」と、どこかで読んだ。
なるほどと思う。
歌っているとき、オレは訴えているのだ。
作詩者、作曲者の衣を着て訴えているのだ。
作詞者は自分の訴えたいことを詩にする。
それを自分なりに解釈して、作曲者は曲に乗せる。
その詩を、そのメロディーの全てを理解していなくとも、
それらの全てに共感しているわけではないにしても、
それらを自分なりに解釈し、自分なりの思いを込めて、
歌い手は声を発する。聞く者に訴える。
聞く者は自分自身かもしれない。
自分を含めた聴衆に訴えかける。
そこに伴奏者が加われば、それとの調和を意識して。
それが合唱曲であれば、指揮者の意図をも感じながら、
周りの歌い手の声をも意識しながら、訴える。